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「アメリカ軍のアフガン撤退から『戦後日本』の形成を振り返る」 西村眞悟

アメリカ大統領バイデンが、アフガニスタンからのアメリカ軍の撤退を開始させると、その撤退途上にガニ大統領が国外に逃亡してアメリカの支えていたアフガニスタンの政権が崩壊し、現在、無政府状態のなかでタリバンがアフガニスタンを武力で制圧した。

これによって、二十年前の9・11テロ以来開始された対テロ戦争(正式名称は「テロとの世界大戦・Global War on Terrorism!」)が敗北となり、世界は再びテロの恐怖下におかれるのではないかという懸念が生まれるに至っている。

また、アメリカ軍の撤退によって生まれた空白を埋めるように、アフガニスタンの西の中共と北のロシアがタリバンに接触を計って緊密化しつつある。ここにおいて、アメリカ軍撤退後のアフガニスタン情勢は、アフガニスタンという一つのビンのなかに、タリバンとロシアと中共という「三匹のサソリ」が入ったような状況となるであろう。つまり、アフガニスタンという火薬庫が活性化して、我が国周辺の東アジアと世界は、明確に緊張期に入る。

さらに、アメリカ軍の通訳などアメリカ軍の下で働いていたアフガニスタン人やタリバンを恐れる数万人のアフガニスタン人が、国外に逃れようと空港に殺到して、離陸するために動き始めたアメリカ軍の巨大輸送機C-5ギャラクシーを取り囲んで走り、あるいは車輪軸によじ登る驚愕すべき映像が流れた。ベトナム戦争で、軍事的に敗北して、北ベトナム軍に攻め込まれたサイゴンの状況と同じである。

古来、洋の東西を問わず、軍の撤退は名将を以てしても難事業であるが、斯くの如き、悲惨な混乱をもたらしながら、テロ組織の復活という世界的な懸念を生みだしつつあるアメリカ軍の撤退を実施しているバイデン大統領は、結果責任の観点から、無能かつ無責任の誹りを免れない。

 

とはいえ、このアフガニスタン情勢を眺めながら、外国の軍隊による支配体制の終了という事態に関して、現在のアフガニスタンの状況とは全く違うとはいうものの、かつての日本を想起して感慨に浸る私西村の思いを記しておきたい。

我が国は、昭和二十年九月二日の大東亜戦争の降伏文書調印から同二十七年四月二十八日午前0時のサンフランシスコ講和条約発効迄、アメリカ軍を中心とする連合国に軍事占領されていた。

まず、(1)外国の軍隊が母国を占領統治していたとき、その外国軍の通訳や使用人として雇われていた者は、外国軍の撤退によって職を失うのは当然である。

また、(2)外国軍の指令により公職を追放された者は、外国軍の撤退によって、その職に復帰するのは当然である。

さらに、(3)外国軍によって「憲法」として書かれた文書が、外国軍の撤退によって「憲法」でなくなるのは当然である。

 上記(1)に関しては、日本もアフガニスタンも同じだ。しかし、アメリカ軍撤退の次に来る政権が、日本とアフガニスタンでは全く違うので、日本ではその経歴が占領解除後の栄達に役立ち、アフガニスタンでは国外逃亡を促すものとなっている。(2)について、我が国では、東京帝国大学国史学の平泉澄教授の例で明らかなように教育分野において復職はなかった。もちろん、軍人においては、占領軍によって軍隊そのものが解体されたので復職はなかった。(3)について、我が国では、占領後の現在も占領中と同じ「憲法」である。

 この(2)と(3)における日本の状況は、日本は、占領解除後も「占領中の日本」即ち「Occupied Japan」と同じであることを意味する。

しかも、(1)における占領軍の被使用人の内、戦後日本人の言論を検閲して、それを禁止する役目を果たしていたGHQの八千人から一万人の日本人検閲官(略称CCD、Civil Censorship Detachment)は、経歴にCCD勤務の事実を記している者は一人もなく、その経歴を隠して、あとで革新自治体の首長、大会社の役員、著名なジャーナリスト、大学教授などになったインテリたちであった、と江藤淳氏は指摘する(同氏著「閉ざされた言語空間」、平成元年刊)。

但し、その後に、まさに検閲官(CCD)だった東京帝大文学部イギリス文学科卒の明治四十三年生まれの甲斐弦氏は、沈黙を破り、峻烈なアメリカ軍検閲の実態を描き出した「GHQ検閲官」(葦書房、平成七年刊)を世に出している。戦前、蒙古政府官吏をへて応召した甲斐氏は、大陸の戦場を経験し、へとへとになって復員してきてGHQの検閲官募集に応じた。そして、その仕事にありついた甲斐氏は、終戦前夜の苦しみで精神をすり減らしたのであろうか、と自分を見つめ、著書で次のように独白した自分を記している。

「本当に全力を尽くした者は、死ぬか、あるいは生きていても、虚脱している。戦後直ちに『頭を切り替えて』平和日本を謳歌している人々は、戦時中、本当には戦わなかった人々か、あるいは眼中には自己の利害のみがあって、民族の安危には無関心な低劣なやからである。・・・車窓を通り過ぎる風景に向かって、私は独り語りかけていた。」

私西村は、昭和四十三年に京都大学法学部に入学したが、当時、外書購読の授業をしていたあの助教授、彼のその後の生き方から、彼はGHQのCCDだったと思っている。

GHQの検閲官になるためには、英語力がなければならない。従って、検閲官の供給源は、大学院生や助手や助教授の若手インテリ層だと推測される。そして、検閲官には、敗戦後の生活苦にあえぐ庶民が驚くほどの高給が、GHQから与えられた。その大学を供給源とする検閲官を率いたのは、東京帝国大学教授で、彼は占領中にNHKの会長になった、と若狭和朋氏が著書「日本人が知ってはならない歴史」に書いている。

即ち、GHQは、検閲を実施しつつNHKを掌中に入れたのだ。そして、日本国民に「日本は軍国主義によって悪い戦争をした悪い国だ」というWGIP(ウァー ギルト インフォメーション プログラム)を完璧に実施した。即ち、GHQは、軍事力において日本を打倒した後に、思想戦において日本を打倒することに成功したのだ。しかも、思想戦における日本打倒の道具は日本人自身とNHKであった。

この日本打倒の道具(検閲官)は、GHQが去った後も、経歴を秘匿してそのまま各大学に居座って快適な学園生活を続けながら、学生に反日思想を教え続けて十数年後の大学紛争の下地を造り、彼らに教えられた大学紛争時の学生が、平成の御代になって、あの悪夢の民主党政権を造るに至った。

斯くの如く振り返れば、我が日本においても、アメリカ軍に雇われた一万人の検閲官(CCD)や、アメリカ軍に追放された者の職場を、アメリカ軍に媚びへつらって獲得した者達は、昭和二十七年四月二十八日の日本独立によって撤退するアメリカ軍にひっついて、現在のアフガニスタンのように、日本から出ていってくれれば良かったのだ。

以上の通り、私西村においては、アフガニスタン情勢から、我が日本のアメリカ軍による占領統治とそこからの脱却のあり方に思いを致した。何故なら、我が国を取り巻く内外の情勢は、ますます厳しくなり、これから数年間で、眞の日本への回帰もしくは眞の日本への復古がなければ、我らの先祖から伝えられた高貴で誇るべき日本は、地球上から遂に姿を消すからだ。