kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

【日本への回帰】 真岡郵便局の女性たちが遺した言葉  荒岩宏奨(展転社代表取締役)

 昭和二十年八月九日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に侵攻を開始。翌十日には樺太住民の緊急疎開が計画。十二日から緊急疎開が開始され、住民は順次北海道本土へと渡った。十五日には、玉音放送によりポツダム宣言受諾の旨が国民に伝えられた。しかし、ソ連軍は十五日以降も南下して、侵攻を続けたのである。

 十六日、真岡郵便局長は逓信局長からの「女子吏員は全員引揚せしむべし、そのため、業務は一時停止しても止を得ず」という緊急疎開命令を通知し、女子職員の引き揚げを決定した。ところが、電話といふ通信手段は大事であるとして、真岡郵便局の電話交換手の女性たちが残留を申し出て真岡に残り、電話交換の仕事を続けたのである。

 二十日早朝、ソ連軍の軍艦が真岡に接近し、砲撃を開始。電話交換手たちは砲撃を受ける中も電話で戦況を伝え続けた。ソ連軍が真岡に上陸すると、民間人にも攻撃をはじめた。そして、目の前にソ連軍が迫った時、電話交換手の女性たちは「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」という言葉を遺し、青酸カリやモルヒネで九人が自決したのである。

 昭和二十年に九人の女性が守ったものは何だったのか。その一つに「言葉」があったのではないだろうかと私は思う。電話は言葉を伝える通信手段である。そして、彼女たちが最期に遺したものは言葉であった。

 天皇を大和言葉でスメラミコトという。スメラには、優れているとか、澄んでいるとか、聖なるという意味がある。そして、ミコトは漢字では「命」とも「尊」とも書くが、「御言」でもある。すなわちスメラミコトとは、「優れた言葉」「澄んだ言葉」「聖なる言葉」でもあるのだ。言葉とは生命であり、神でもある。

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