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【論説】観客なき開会式の虚しさ

※東京オリンピック・パラリンピック公式HPより

 

東京オリンピック・パラリンピック開会式が7月23日、東京・国立競技場で行われた。約8年の準備期間を経ての開会だったが、無観客のせいかリハーサルのような寂しさで、会場を覆う熱気が大会を盛り上げた過去の五輪とは比べるべくもなかった。

 

誰が悪いというものでもない。敢えて言うならば、コロナウイルスの発生源とみられる中国には道義的な謝罪くらいはしてほしいものだが、度量の狭い彼の国に不服を申し立てたところで制裁関税から尖閣侵略、戦争へとエスカレートしかねない。ここは人類全体が被害者という大きな視点で、それでもこの無観客はどうにかならなかったのだろうかと、日本の存在感をアピールする絶好の機会だっただけに悔しくてならない。

 

極端な話をすれば、現政権には携帯料金引き下げやデジタル庁創設などよりも、政権の命をかけて五輪有観客の方針を貫いてほしかった。全ての準備を整えた挙句、無観客となってしまった。これこそまさに「画竜点睛を欠く」の故事そのものである。

 

観客なき催しなど、空気の抜けたタイヤと同じである。無理に実行すれば、異質性が際立つばかりだ。ほぼ中止にしたのと変わらない。今回の選択肢は、中止・延期か、有観客で開催か。この2択だけで覚悟を決めて欲しかった。もし、都知事が小池百合子氏でなかったら、結果はかなり異なるものだったに違いない。

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