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【論説】小池氏の演技に国民は何度でも騙される

※イメージ画像

 

6月22日に検査入院した小池百合子・東京都知事が7月1日、リモート会議出席の形で公務復帰し、翌2日には都庁で記者会見に臨んだ。コロナ対策真っただ中での離脱に「心からお詫び申し上げたい」と謝罪し、「山積する課題に全力で取り組んでいく。どこかでバタッと倒れるかもしれないが、それも本望」と述べた。

 

この入院・復帰劇について、小池氏を支持する人々から安堵と体調への心配の声が相次ぐ一方、同氏に批判的な評論家からは皮肉を込めて「政治の天才」と評する声が多い。さらに、この会見の翌日3日には都議選最終日ということで激戦区の中野区や千代田区でサプライズ応援に出向き、同情票を集めて自身が特別顧問を務める「都民ファーストの会」の巻き返しに貢献した。

 

永田町界隈では自民党の二階俊博幹事長との間に密約があるともっぱらの噂がある。前回都議選で都民ファに大敗した自民が今回は勝たせてもらう代わりに、小池氏が秋の衆院選で東京9区の公認候補となり国政復帰するという内容だ。同区は6月21日に公選法違反で3年間の公民権停止などの略式命令を受けた菅原一秀氏の地盤。小池氏は都知事になる前は、9区の隣り、10区の選出議員だったが、党の方針に逆らい都知事選に立候補し、当選した。

 

現在、10区は鈴木隼人議員が小池氏と行動を共にした若狭勝氏を前回衆院選で破って地盤を確保しており、小池氏が自民党で国政復帰するには比例単独か、選挙区の空きを待つしかない状況。渡りに船とばかりに9区の菅原氏が退場するため、小池氏にとっては垂涎の好条件となる。10区は新宿・中野区をメインにして、豊島・練馬区の1部に跨る選挙区で、小池氏は練馬区に在住。9区は練馬区の大部分をエリアとしており、小池氏の住所からすれば、どちらを選挙区にしても有権者には抵抗がない。ちなみに、地方選であれば選挙区に住所がなければならないが、国政選挙ではその限りではない。

 

都知事としての役職は東京オリンピック・パラリンピックを成功させることで、混乱した都政に一応の役割を果たした形になるし、都知事としての経歴を引っ提げて国政復帰することで、二階派の領袖を継ぎ、国民の支持を背景に首相候補として神輿に乗る道が拓ける。都知事をこのまま続けても、この先の展望は昏い。都知事に4選された石原慎太郎氏が任期途中で辞任し国政復帰したように、自身のキャリアや権力を伸ばすことに飽くなき欲望を持つ小池氏であれば、都政や国政のことよりも自身にとっての損得勘定を緻密に計算して判断するに違いない。

 

今回、都議選の終盤に公務復帰したことで、都民ファに同情票が集まり、小池氏が大々的には応援せずとも最終版で大惨敗を免れた。二階氏に対しても約束通り、前面に立っての選挙応援はせず自民勝利に貸しを作ることができ、一挙両得を「休む」という形で実現した。これを天才と言わずして何と言おうか、という専門家の見方はある意味で的を射ている。

 

これを安倍晋三前首相と比較して考えたい。安倍氏は政権終盤に持病の潰瘍性大腸炎が再発し、激務に耐えられない可能性があることから無念の降板を遂げた。ぎりぎりまで働き続けたが、コロナ禍の対策や五輪延期など多くの難題が山積し、また菅原氏の選挙違反スキャンダルや河井夫妻の逮捕などもあり、政権末期は支持率も低下して相当なストレスが体を蝕んだとみられる。

 

こうした状況で、マスコミは総じて安倍氏に批判的な論調で、7年8か月間もの舵取りを続けた労いよりも「第一次政権末期と同じ放り投げだ」などと揶揄するメディアもあった。対して、今回の小池氏に対する反応はどうか。マスコミの中に小池氏を糾弾する論調はほとんどない。なぜ、小池氏はいつもマスコミに守られるのか。

 

ニュースキャスターの経験もある同氏にとって、マスコミの扱いは簡単で、自らに有利な印象操作をすれば、それを報じざるを得ないと心得ているのだろう。例えば、入院時と退院後の記者会見でいかにもか細く、また弱々しいかすれ声で都民を救う和製ジャンヌ・ダルクのような芝居を打っている。冒頭に紹介した「どこかでバタッと倒れるかもしれないが、それも本望」という悲劇のヒロインじみた鼻白む台詞も、悦に入って役を演じ切ろうとする三文役者の香りが漂う。

 

それだけ立派な仕事をしているならともかく、彼女は豊洲市場を無駄に延期し、何度も緊急事態宣言を延長させ、菅義偉首相が解除を宣言するギリギリまで延長を継続しようとした。都は今年2月以降、小池氏の方針に従いコロナ対策で1兆820億円を予算化。主たる財源は8,500億円以上を取り崩す財政調整基金だ。バブル経済崩壊後の深刻な財政危機から少しずつ積み上げてきた虎の子の基金だったが、繰り返す宣言延長の見返りに小池氏はあっさりと使い切ってしまった。全てにおいて、自らのパフォーマンスや人気の維持が優先しており、1つとして都民の目線に立った判断をしていない。

 

有権者を騙す能力が高いという点では「天才」かもしれない。しかし、「天才」の称号と引き換えに、彼女には一切の理念がない。パフォーマンスで隠された仮面の奥の醜悪な権力欲に気付いている有権者がほとんどいないことが、この国の未来を危うくしている。