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「あいちトリエンナーレ2019」中止事件論考 三浦小太郎(評論家)

本稿は2019年秋に執筆した未発表の原稿だが、この問題についての私なりの論考として、現在も意見を変える必要を感じないので、ほぼ修正せずに掲載する、この問題の本質は、本校最終部に引用したドストエフスキーの次の言葉に尽きている。「ほかの国では民主主義者は自国の民衆に根差しているのに、わがロシアでは、民主主義者は自国の民衆を馬鹿にしている」

 

(1)展示する側の責任を放棄して表現を語る資格はない

 

2019年夏、愛知県主催の3年に一度の国際美術展「あいちトリエンナーレが、その中の企画展「表現の不自由展・その後」への抗議を受け、わずか3日で事実上の企画展中止となった。

最初に確認しておかねばならないことがある。もしも私がかなり政治的にも過激なテーマの展示会を企画し、そのテーマに沿った作品で、以前公開を拒絶されたものを集めたとする。そこでは特定の個人を侮辱したものがあってもすべて認め、公共施設のイベントの一角でその展示会を開催したと仮定する。これに対し「一方的な、かつ政治的な展示会を税金を使って公共行事でやるとは何事だ」という猛抗議や脅迫やらが来て、おびえた私が、3日間で、作品を提供してくれた方々に一切相談することなく展示会を中止にしたとしよう。

 その段階で、私は表現者としては終わりなのである。私なら「作品を提供してくださった方にあまりにも申し訳なく、また、お気持ちを傷つけた方々にも合わせる顔がありません。」と宣言して、弁護士を通じてしか連絡を取らず、ただひたすら展覧会の後始末(違約金の支払い、チケットを買ってくれた方への返金、様々な謝罪行脚)に専念するしかないだろう。そして、それ以後は、公的な場でものを書く機会を与えられても、恥ずかしくて何も書けないだろう。

 これは大げさなことを言っているのでもないし、私が特別に責任感が強いわけでもない。他者の作品をあずかって、数カ月なら数カ月展示を契約するということは、それくらい責任が重いことなのだ。人の表現をあずかって公開を約束し、いかなる理由であれ、わずか3日で、製作者へのきちんとした連絡もなく中止するというのは、津田氏は表現者として失格とみなされても仕方がないことなのだし、大村知事が最終責任者であるのなら、愛知県が同知事の任期中は他県や個人から作品を借り受ける権利を失ったくらいの大問題なのである。

 もしも津田氏が、今回の展示会に置かれた作品を本当に愛し評価していたら、製作者に連絡なく中止にすることは絶対にできない。津田氏の発言では、個々の制作者との個人契約はなかったということだが、それは法的な問題ではあるかもしれないが表現者としての責任とは次元の違うことだ。これでは、この作品群を、自分の政治的な意見や、ジャーナリストとしての「問題提起」(という名の「炎上商法」)の道具に使ったのではないか、と疑われても仕方がないことなのだ。

 

(2)政治プロパガンダから自立していない作品は作品とは言えない

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