contribution寄稿・コラム

石原莞爾の「國防政治論」を読む2   堀芳康(國體護持研究家)

昭和十一年二月二十六日、226事件が起こる。

この時の決起趣意書は、君側の奸を排除することを目的としていた。この「君側の奸排除」は、皇統の権威の普遍性を基礎として、権威に整合しない権力を打倒し、覇者と雖も王者の下にあるとする神政政治の理念であり、「國體の支配」の理念なのである。

この時の君側の奸は、天皇大権を私議する軍閥や重臣であり、農村の疲弊にも関わらず党利党略をこととする政党や財閥であった。これに決起した皇道派の若手将校41名、民間側13名がクーデターを起こす。天皇が統治する最高規範の大日本帝国憲法下において、まして、全世界を一つの家として見立てるという「八紘為宇」の大理想があった日本で、農村と都市の経済格差と貧困の問題が解決出来ないでいた。

石原莞爾がこの時の日本の状況を、昭和10年4月の鶴岡で行った講演で触れている。演題は「非常時と日本の國防」の中でこう言った。

「稼がんと欲するも職がなく、働かんと欲するも仕事が持てぬ失業者は数百万人をもって数えられ、職業にありついた者でも懸命に労働をつづけてさえも一家を支え切れぬのが無数にある。…故に忠君愛国の至情に燃えている者であっても、自己の私利私欲を営まないと死んでしまうのだから思想は乱れ、国民精神が麻痺してゆく。この状態から一日も速やかに大衆を救わないと日本はつぶれる」

党利党略私利私欲の政党政治では、民生の安福ははかれないという思いは、当時誰の頭にもあった。また石原莞爾は、日本は統帥大権と国政大権が天皇大権として一つのものになっている事が強みで、御聖断によって国のすすむべき方向が決まる事はよいとも言っている。

しかし、226事件のあったこの時の状況はどうであったのだろうか?

まず、226事件の前に政情の腐敗、堕落が始まっていた事をあげなければならない。3月事件、10月事件、血盟団事件、515事件、神兵団事件等を民間の右翼団体と手を結び起こした。しかし、515事件の犬養暗殺を実行した犯人達は、何れも軽微な実刑で死刑は逃れている。本来、國防の中心である武力を担う軍の士官である将校が起こしたこれ等の事件に対し、

当時の軍首脳は、軍紀を守るという勇気を欠き、派閥関係から部下の罪をかばうのに賢明で厳正なる統帥の本質を忘れ、指導部としての目的と役割を見失っていたと言える。

また、天皇大権が統治の根本であったが、聖断を下そうにも方針を確立し、具体案を生み、指導するべき指導者が居なかった。この辺りが事件の背景があったと思えるのである。

(続く)