ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危うし】 大楠公を仰ぐ 三澤浩一(武客)

 <大楠公>と仰がれている楠木正成公は延元元年(皇紀1996年/西暦1336年)5月25日、弟の正季卿をはじめとする楠木氏の一族郎党をひきいて、足利高氏(「尊氏」のこと)ひきいる賊軍と戦い、湊川で討ち死にした。5月25日は楠公祭である。今年は令和3年、皇紀でいえば2681年、西暦でいえば2021年だから、685年前のこととなる。

 

 5月25日、建武神社を参拝した。建武神社は東京都港区に鎮座する白金氷川神社の境内末社で、後醍醐天皇さまや大塔宮護良親王さま、そして大楠公はじめ二百余柱の吉野朝(「南朝」のこと)の忠臣をご祭神としてお祀りしている。東京メトロ南北線と都営三田線の「白金高輪」駅から徒歩5分ぐらいだから、交通の便は良い。多くの方々にお参りしてほしいと願っている。

 

 建武神社を参拝した後、皇居へ参り、大楠公のご尊像にご挨拶をした。都内にいても、大楠公にお会いできる聖地が2ヵ所もあることはありがたい。

 

 神戸には湊川神社が鎮座している。湊川神社から歩くと、たしか湊川公園という公園だったか、大楠公のご尊像が建立されているところがある。神戸も東京と同じく、大楠公にお会いできるから、大好きな街だ。

 

 東京では今年も、楠公祭が乃木神社で斎行された。、虎狼難(ころな)による緊急事態宣言のため、残念だが、昨年と同じく参列は関係者だけである。この大変なときだから、やむを得ない。楠公祭は、中村武彦先生が祭主を長らくつとめてきたが、現在は中村門下の犬塚博英先生が道統を守り、祭主をつとめている。ありがたいことだ。

 

 「身のために君を思ふは二心(ふたごころ)君のためには身をも思はじ」。この歌は、大楠公の遺詠といわれている。「我が身のため、自分自身のため、天皇さまを思う心(があるように見せかける)、忠義を尽くす(ふりをする)のは、薄汚い、邪な、裏切りの心なのだ。天皇さまのためならば、自分のことなんか一切考えないで、忠義を尽くすのだ」という意味になる。

 

 我が国史上の人物で「大」という尊称が冠となっている方は何人いるのだろうか。僕が知っているかぎりでは、大楠公の他には<大西郷>西郷隆盛先生だけである。「翁」「公」「先生」「烈士」という敬称をつけて呼ぶ方は何人もいる。しかし、「大」という冠をつけて呼ぶ方は、大楠公と大西郷しか知らない。

 

 大楠公は偉大すぎるため、語ると長くなるので、本稿では<七生滅賊>についてのみ述べる。まずは『太平記』で殉節のときを見たい。

 

 大楠公は、正季卿に問う。「そもそも最後の一念に依つて善悪の生を引くといへり。九界の間に何か御辺の願ひなる」とある。すると、正季卿はからからとうち笑い、「七生までただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさやとこそ存じ候へ」と答えた。大楠公は非常に嬉しげな気色で「罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」と誓い合って、兄弟で刺し違えた。<七生滅賊>こそ、楠木一族の精神である。

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