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【論説】西暦XXX1年は世界情勢が激変するサイクル

※イメージ画像

 

西暦の下1桁が0年か1年というのは、世界に新たな問題が発生したり、それまでと異なる局面(フェーズ)に転換したりする大事件がよく起きる。時代を遡りながら戦後の歩みを振り返ってみる。

 

2011年。日本では3月11日の東日本大震災で大混乱となった。脱温暖化にも一役買っていたエネルギー政策が、脱原発という流れに急転換したという点では、世界情勢にも大きな影響を与えた災害となった。直接的な国際ニュースとしては、ギリシャを始めとする欧州諸国の債務危機問題が深刻化し、中東諸国でフェイスブックでの情報共有をきっかけにした「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が盛り上がり、最終的にはリビアやエジプトなどで政権を打倒するほどのうねりとなった。ロシアなどの思惑で政権打倒までいかず、内戦状態に入ってしまったのが現在のシリアである。また、北朝鮮では金正日総書記が死去した。

 

2001年は9.11アメリカ同時多発テロが発生し、ブッシュ大統領は国家非常事態を宣言。米国は対テロ戦争に突入し、イスラム原理主義勢力との20年間に及ぶ戦争が始まった。それ以前の10年間、米国は比類なき覇権国家として「世界の警察官」の役割を負い、キリスト教世界の王者として、テロの標的となっていた。

 

1990年末にイラクが突然クウェートに侵攻、石油基地を占領したため、1991年1月に米国を中心とする多国籍軍との間で湾岸戦争が勃発、翌月クウェートは解放された。1989年11月のベルリンの壁崩壊以降、ソ連の共産圏から離脱する東欧革命が進み、1991年9月には独立を宣言したクロアチアとユーゴスラビア連邦軍との間で紛争が勃発。95年11月の和平合意に至るまで市民を巻き込んだ殺戮が繰り返された。91年12月にはソビエト連邦が崩壊し、冷戦が終了。前後する形で起こった湾岸戦争は、世界のリーダーたる米国の圧倒的な存在感を見せつける結果となり、世界の不満分子を「反米」に集約させる結果となった。

 

1981年は米国でロナルド・レーガン大統領が誕生。英国のサッチャー首相、日本の中曽根康弘首相と共に、新自由主義の旗手として「小さな政府」を志向する西側諸国の基本的スタンスが確立し、ある意味で10年後に冷戦崩壊を導く市場経済の発展につながった。中国では四人組の1人として文化大革命を指揮した故毛沢東の妻江青に死刑判決が下り、中国の改革開放路線が本格化する。ソ連とは対照的な中国の現実路線へのシフトが、その後の中国台頭を招くこととなった。

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