ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危うし】 [国士の道を辿る身は] 三澤浩一(武客)

さはれ悲しき運命かな

国士の道を辿る身は

爆弾執りて叫ぶとき

昔の恋を偲ぶ哉

 

 

 

 これは通称「若き支那浪人の歌」と呼ばれている歌の一節である。「妻をめとらば才たけて……」で始まる、与謝野鉄幹の名作「人を恋ふる歌」はご承知の方も多いだろう。この「人を恋ふる歌」に、島崎藤村の「酔歌」、さらに作者不詳の「其他」をつけくわえ、まとめた歌を「若き支那浪人の歌」という。この一節は「其他」にある。

 

 鉄幹が作詞した箇所もそうだが、この歌は全体的に国を憂いアジアを想う気持ちがこめられている。「妻をめとらば……」が有名すぎて、恋愛の歌と勘違いする人もいるが、それは誤りだ。この歌は、憂国と興亜の歌ともいえる。志士の歌であり、また明治・大正のロマンチストの歌でもある。

 

 国士とは程遠い僕ごときが云々いうのは僭越至極で恐縮なことだが、筆を進めることをご海容いただきたい。

 

 国士といえば、誰を想うだろうか。我が国で国士というと、明治維新以降の志士をいうのではないか。階級、身分、職業としての武士という存在が消えた後も、武士らしく、しかも藩とか家とかなどという小さなものを守るのではなく、国家や民族を守るため、戦った大丈夫(ますらお)を国士と呼ぶ。国士にあるのは思想ではなく、志操である。

 

 国士といえば、玄洋社や黒龍会を思いうかべる。立雲翁こと頭山満先生をはじめ奈良原到先生や内田良平先生たち、多くの国士が集結していた。来島恒喜烈士も、そのひとりである。「爆弾執りて……」となると、やはり来島烈士となる。

 

 来島烈士は安政6年(皇紀2520年/西暦1860年)12月30日に福岡県に生まれ、高場乱女史の人参畑塾に学び、立雲翁に兄事、玄洋社において国事に奔走した。上京して中江兆民先生の仏学塾にて学んだり、朝鮮の志士である金玉均先生を支持して朝鮮に渡ろうとしたり…と、広い視野を備えている好漢である。

 

 明治維新以来、我が国の悲願は、西欧列強との不平等条約の改正であった。明治維新の目的は何か。ひとつだけあげるとしたら、独立を守ることである。そして、真の独立国家、真の主権国家となるためには、不平等条約を改正しなければならなかった。西欧化も、近代化も、そのための手段だ。日清戦争も、日露戦争も、その過程である。不平等条約の改正なくして、真の意味での独立も主権もない。

 

 黒田清隆内閣の大隈重信外務大臣が、不平等条約改正を進める策として、外国人の裁判官を採用するという案をつくった。玄洋社をはじめとする志ある人々は、この国辱的改定に反対して、激しい運動が起こった。

 

 来島烈士は明治22年(皇紀2549年/西暦1889年)10月18日の午後4時すぎ、閣議を終えて外務省に戻ってきた大隈重信外務大臣に爆裂弾を投擲、右足を失う重傷を負わせた。大隈外相を誅したと信じた来島烈士は、その場において自刃した。<大隈重信外相暗殺未遂事件>と呼ばれている義挙である。

 

 来島烈士の義挙の影響は大きく、これにより条約改定は流れたといわれている。立雲翁は、来島烈士の葬儀のとき、弔詞で「天下の諤々は君の一撃にしかず」と延べ、また大楠公の歌「身の為に君を思ふは二心君の為にと身をば忘れて」を引用、来島烈士はこの歌の精神を実現したと激賞した。

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