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日本は建国か肇國かの考察   堀芳康(國體護持研究家)

先日、購入した小名木善行さんの本が「日本建国史」という名前だった。しかし、戦前に文部省から発行された「國體の本義」には、建国という言葉はなく、むしろ肇國の精神が中心であって、建国は天照大御神の肇國の御精神をついだ神武天皇の御創業であると書かれている。

「日本建国史」では、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨、神武天皇の日本建国、崇神天皇の肇國となっており、何故か、日本書記にある最初の天地開闢(テンチカイビャク)、修理固成(ツクリカタメナセ)という重要な部分は省略されているのである。

大東亜戦争終結後、GHQは、我が国の諸制度や、國體の中心である皇室を国民から切り離すための様々な改変をはかりました。そこに、国家主義と結びついた文書や用語なども全て禁止しましたが、その中に國體や肇國もあった訳です。

しかし、日本で一番問題なのは自分の国の事を教えない事です。社会の成り立ちがわからないと、自分という存在を見失います。何の為に自分は存在しているのか、何を守らなければならないのかがあって、学問があるのに、そこにあるのは自分の為という目的を失った自己中心思想だけになってしまう。

小名木氏は、おそらく肇國では読者がわかりにくいから建国にされたとは思うのですが、肇國の精神で教えなければならない事は、書かなければならなかった。これを私が全て書くと長くなるので端折りますが、古事記にある天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が宇宙の本体であり、皇室はその直系であり、私達臣民もその分霊(ワケミタマ)としてその心を宿しているとされるところから始めなければならなかった。国の紀元に遡ると、皇室との関わりを否定する事は出来ないから、GHQはそこに弾圧を加えたのです。

ここに古来の日本人が天皇をどのように観念していたかを列挙してみたいと思います。①君主の観念…古語のキミ(王)、オホキミ(大王)、②上、最上位の観念…オカミ、氏上(ウジノカミ)、③統一者、統合者…古語のスメラ、スメラギ又はスメロギ(支配者、権力者の観念とは異なる)④尊者…古語のミコト⑤聖者…御聖断、聖上、聖旨等⑥最高の祭祀者、祭祀の主催者⑦神、神聖なる人…皇神(スメガミ)、スメロギの神⑧総本家、親父として…国民を赤子とみなす親父として⑨国家…天皇即国家論⑩国主の観念…天皇はシラス者、シロシメス者である⑪広大なる者…天子(アマツカミノミコ)⑫道の伝承者…三種の神器を伝承する者⑬日本国家の統治権総覧者であり、元首である。

これだけの観念が国民の中に存在しているという事実をみれば、日本という国が少し見えてきます。崇神天皇の肇國というのは、御創業の一つと考えるべきで、学ぶべき精神は別の所にあります。天皇が日本の肇國に対してどのように関わったかを教えて欲しかった。言葉としてはやはり肇国になるでしょう。