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【論説】五輪中止さえも踏み台にする小池百合子の国盗り物語

※イメージ画像

 

橋本聖子氏(56)が、閣僚職も党籍も投げ打って東京五輪・パラリンピック組織委員会長を引き受けたのとは対照的に、東京五輪開催地である東京都のトップ、小池百合子知事(68)の無責任さが極まりない。

 

今回、森喜朗氏(83)に引導を渡したのは、東京五輪トップ級4者会談に「今はポジティブな発信にならない」と欠席の意向を示した小池氏の一言である。ポジティブな発信か否かではない。大会そのものに1番の責任を負う立場の人間が出欠を選択できる立場なのか。むしろ、主催者の1人として女性発言問題の責任と対策を共に分かち合わねばならぬ当事者なのに、さも「自分は国民と共にある」と言わんばかりの部外者目線で距離を置く。今後、たとえ大会が中止になっても全責任を組織委員会に被せようとする腹がミエミエである。

 

手柄の横取りと責任逃れ。小池氏の政治手法はこの2つに集約される。都知事選に立候補した2016年8月の時点で、同氏の正体は自民党内のほとんどの議員に見破られていた。2017年9月、彼女が国政政党「希望の党」を立ち上げたとき、彼女を慕って自民党を飛び出したのは、初当選から3年目で事情をよく知らぬ若狭勝氏と、次回総選挙での当選が危ぶまれていた福田峰之氏だけだった。福田氏は、水素社会実現を促進する研究会を共に起ち上げた誼もあった。

 

小池氏の政治家人生は、時の権力者への乗り換え物語である。日本新党を旗揚げした細川護熙氏の誘いを受けてフリーキャスターから国会議員に転身すると、細川政権に総務政務次官として政権入り。政権崩壊後は新進党、自由党で小沢一郎氏の側近となり当選を重ねるが、自由党が分裂すると、保守党・保守クラブと渡り歩いて2002年12月に自民党入りした。

 

翌年9月には第一次小泉政権で環境大臣として入閣し「クール・ビズ」推しで政権の花形となる。2005年8月に郵政解散すると、自ら刺客として東京10区に立候補したいと訴え、小泉首相やマスコミに大きくアピールすることに成功した。

 

2006年9月、第一次安倍政権が発足すると総理補佐官に、翌年には防衛大臣を拝命するが、テロ対策特別措置法などで多忙となり、防衛省人事では自らの意見が通らなかった結果、「イージス艦機密情報漏洩事件の責任を誰も取っていない」として内閣改造時の再任を拒否した。責任を取るという言い逃れで逃げたのである。

 

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