shohyo「書評」

【書評】 ファシズムへの偏流 ジャック・ドリオとフランス人民党   竹岡敬温著 国書刊行会 三浦小太郎(評論家)

 本邦において初めての、フランス・ファシズムの代表的政治家、ジャック・ドリオと、彼が結成したフランス人民党の活動についてのまとまった著作である。出版社の国書刊行会は、かって『1945・もう一つのフランス』として、ロベール・ブラジャック、ドリュ・ラ・ロシェルら、いわゆる反ユダヤ主義者でナチス・ドイツに協力したとされる一連の小説家の作品や、セリーヌの政治パンフレット(これも過激な反ユダヤ主義に満ちているが、同時に興味深い現代文明論でもある)『虫けらどもをひねりつぶせ』も出版している。日本ではあまり紹介されないフランスファシズムについての文献をこうして読むことができるのはありがたい。

 

 ジャック・ドリオは1898年、貧しい製鉄工の家に生まれた。前述したようなフランスファシズム知識人の多くが、富裕で教養ある一家の出身であることに比べ、ドリュはほとんど独学で政治を志し、第一次世界大戦に従軍した後、サン・ドニの工場労働者としてストライキに参加、当初は共産主義者としてスタートする。共産党に入党、コミンテルン青年部書記として過激な活動を展開、1925年にはモスクワのコミンテルン執行委員会にも出席した。

 

 しかし、モスクワ体験は逆にドリオに、ソ連、特にスターリン体制の、各国共産党をソ連の配下に置き、現実を無視した方針を強要する姿勢を実感させられたのだった。そして、ドリオはフランスでの活動では、反ファシズムのために、また大資本から労働者を護るためには、共産党は他の左派・リベラル派とは積極的に連携することを主張するが、これはコミンテルンの政策とまったく真逆なもので、彼は共産党内で次第に孤立してゆく。

 

ドリオは、共産党の最も精力的な活動家であり、1931年には現場労働者の指示によってサン・ドニの市長に当選していながら、ソ連の指導に反するというだけで孤立させられ、自己批判を強いられる中、彼はついに共産党を脱党、1936年に「フランス人民党」の結党に至った。本書はドリオの後半生におけるナチスへの協力は批判しつつ、この時点でのドリオのスターリンの本質を見抜いた先駆性は公正に評価している。

記事の続きは有料会員制サービスとなります。

2023年3月より新規会員は新サイトで募集しています。
こちらでご覧ください。

Yamatopress Web News

やまと新聞は日本人による日本のための新聞社です。
会費は月額350円(税込)です。全ての記事・コラムがご覧いただけます。

会員の方はこちら