the-diet国会

國體について  堀芳康(國體護持研究家)

ヤフー知恵袋では國體は旧漢字の説明のみという内容で、國體護持とは「天皇の地位、威厳、等を守ろうとした終戦前の考え方」という短い回答にベストアンサーという冠がついています。今の人がよく使うヤフー知恵袋では既に過去の言葉という認識になっているようです。

対象的に、ウィキペディアでは國體という言葉が初めて使われた時から、戦前の國體明徴運動の流れも含め長々と書かれている。戦前の國體論争は統治権の所在がどこにあるのか(国家、天皇、国民)の論争に終始し、國體の概念は何なのかはっきりしないまま、GHQによって、軍国主義につながる危険思想として禁止された。

伝統国家である日本は、革命国家である米国や、共産党軍事政権の支那とは違う。その事を国民が理解する為には、どうしても國體の概念を理解する必要がある。

南出喜久治著「くにからのみち」によれば、「事実」の領域に属する「文化」という存在(Sein)と「規範」の領域に属する「古道」という当為(Sollen)とがあって、両者は等価値的な対極事象にあり、振動的平衡を保つ関係にあると書かれている。このSeinとSollenは密接に絡み合っており、総合的な理解をする事が求められる。

「文化」の側面は可視的であり、理解しようと思えば、理解できるが、精神的な「規範」は、情報社会の中では、正しい情報に巡り合う事が難しくなった。何を守り、何を伝えてゆくかは、本来国家が判断し、教育や政治に取り入れていかねばならないが、日本はそのようになっていない。

建国記念日は過ぎたが、相変わらず厳しい競争社会の中で生きる事を強いられた人達がいる国。先人が作り出した知恵や文化、さらに八紘為宇の建国の精神も語り継がれる事なく、やがて棺桶の蓋が閉じる。考えてみれば夢も希望もない話だ。

今の人達は、初詣には神社に参拝し、礼義は重要だと教えられ、和の精神はただ何となく、他人には迷惑をかけない生き方は共通のように思えるが、弱すぎるアイデンテティとしか言えない。

徳川家康300年は、日本の文化や遺産を守り育て、決して私物化するような事はなかった。一つ、國體を破壊したのは、天皇が統治するというところだけだったが、GHQは文化と規範の両方とも破壊した。それは、国家に対する冒涜であり、民族の権利への侵害なのである。

日本人が日本人として生きる為にはどうしても「國體論」を構築して、國體を再認識しなければならない。統治権の所在論争に終わった戦前の失敗。文化國體の認識が生まれた「國體の本義」昭和12年から時は止まっている。