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【論説】核廃絶の理想と、核抑止力の現実

※イメージ画像

 

日本は被爆国であり、核のない世界を目指している。1967年12月、当時の佐藤栄作首相が、衆院予算委員会で「核兵器をもたない、つくらない、もちこまない」の非核三原則を表明し、国是となった。

 

非核三原則などの功績により佐藤氏は1974年にノーベル平和賞まで受賞した。ところが、そんな佐藤氏本人が、非核三原則の空論を見抜き、米国との間で「有事の核持ち込みおよび通過」を認める密約を結んだことが、1994年に明らかになった。

 

なぜ非核三原則が空論と言えるのか。現実世界の中で私たちは核抑止力によって平和の恩恵を受けているからである。もし、人類の最終兵器が核兵器でなく、毒ガスだったらどうだろうか。超大国や独裁国家の抑止力にはなり得ず、敵対国同士の毒ガスによる応戦が始まり、第三次世界大戦が50年前には勃発していたかもしれない。化学兵器の惨禍は第一次・第二次世界大戦でも人類は経験済みである。

 

米ソが原子爆弾を開発し、水素爆弾を完成させた1950年代の時点で、第三次世界大戦の帰結が人類滅亡となることが確定した。その現実を咀嚼しきれていなかった米ソは1962年10月、キューバ危機に直面し、人類存亡の選択を迫られた。

 

第一次世界大戦が1914年、第二次世界大戦が1939年、核抑止力がなければ第三次世界大戦となっていたであろうキューバ危機が1962年。いずれも23-25年の間隔である。大戦終結後の新世界秩序の中で覇権国同士の新たな対立が始まり、拮抗する主導権争いの中で臨界点に至るのが、四半世紀後ということなのだろう。

 

キューバ危機では、海上封鎖した米海軍の爆雷投下に対し、ソ連の潜水艦は核爆弾発射で応戦しようとした。3士官のうちただ1人の反対によって、かろうじて危機を回避したが、第一次大戦ではオーストリア皇位継承者夫妻がセルビア青年に暗殺され、第二次大戦ではナチスドイツによるポーランド侵攻で勃発した。

 

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