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亡国を知らざれば、これ即ち亡国、 尖閣を断固防衛し核弾頭ミサイルから国家と国民を守る方策を実践すべし!  西村眞悟

尖閣の領土・領空・領海防衛と我が国全土への核攻撃に対する防衛は、我が国の存立がかかった深刻な課題だ。しかし、我が国政治の中枢は、それらに無関心で年末年始を過ごそうとしている。まことに、明治の政治家である田中正造翁の「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」という警告は、現在の我が国に見事当てはまるではないか。

中共が尖閣を奪えば、必ずそこにミサイル基地を造り、台湾と沖縄本島は中共の掌中に入る。これ、七十五年前に、アメリカに屈服せざるをえなかった大東亜戦争末期の状況の再現である。にもかかわらず、我が国政治は、中共の共産党政治局常務委員でもない下僚が、東京に来て外務大臣の眼の前で、「尖閣は中共の領土だ」と言い放っても反論もしない。この外務大臣の態度は、日々過酷な尖閣警備に当たる海上保安庁の巡視船乗組員と出動命令をまつ自衛隊員の士気をズタズタにする所為ではないか。

また地上においてイージス・アショアの配備を断念するのならば、一瞬の空白も無く代替手段の構築に入るとともに、大陸と半島にある敵基地撃破能力の増強に着手しなければならない。しかし、我が内閣は、イージス・アショアを断念すると同時に核防衛という課題そのものが無くなったかの如くである。核からの防衛とは、核ミサイルが発射されるのを待っていて、それを迎撃するだけではなく、そもそも核ミサイルを発射させない為に敵ミサイル基地を撃破しなければならないのだ。しかし、内閣が年末になって決めたことは、イージス艦二隻の増強だけで、敵基地撃破の課題は先送りで思考停止だ。そして尖閣防衛強化策なしだ。これ、痴呆の発症か?即ち、「日本国憲法という文書」を守って国を滅ぼす痴呆である。この状況、国際社会から見ても異様だ。

そこで次に、東日本大震災の時に顕れた日本のもつ抑止力を指摘すると共に、一九七七年に、西ドイツが如何にして現在の我が国が置かれている状況から脱却したのかを述べる。

二〇一一年(平成二十三年)三月十一日午後二時四十六分、牡鹿半島沖百三十キロの海底を震源地とするマグニチュード9の大地震は、最大遡上高四十・一㍍の巨大な津波を起こし、福島第一原発の原子炉のメルトダウン(炉心溶融)という世界的大事故を生みだした。破壊された原子炉建屋のなかの原子炉を冷却できなければ、日本の国土は、北の人の住める地域と、中部の人の住めない地域と、南の人の住める地域に三分断される。即ち、日本は崩壊の危機に瀕したのだ。この時、折木良一統合幕僚長と火箱芳文陸上幕僚長は、原子炉建屋の上空から水を落として原子炉を冷却することを決断し、中央即応集団(CRF)の宮崎俊信司令官は、三月十六日午後十一時三十分、第一ヘリコプター団の金丸章彦団長に、「明日の朝水を撒け」と命令した。しかし、灼熱の原子炉に水を落とせばどうなるか、これは世界に類例のないオペレーションであった。ただ、火山噴火の多くは水の気化爆発による。それ故、これを知って驚いたアメリカ軍の将官は、金丸団長に「人の命を何とも思わないような作戦はするな」と言った。しかし、翌早朝、金丸団長は、仙台の霞目(かすみのめ)駐屯地から二機編隊のCH47チヌークを福島第一原発に向けて飛び立たせた。二機のCH47は、原子炉の上にホバリングして合計四回約30トンの水を原子炉に落とした。この映像は世界に流れた。すると、東京市場の株価が下げ止まった。そして、中共軍の将官が、金丸団長に言った。「日本人は、戦前戦後、全く変わっていない。簡単に命をかけてくる。もし、日本に対して核弾頭ミサイルの照準を合わせて発射準備をすれば、日本人は、確実に飛行機に爆弾を満載してミサイルに突っ込んでくるだろう。」と。

この米中二国の軍人の言葉で明らかなように、日本人の意識では、戦前と戦後は断絶されているが、アメリカや中共という外国では、日本の戦前と戦後は連続しているのだ。これが日本の抑止力だ。この日本の「戦前」が無ければ、強盗のプロである北のロシアと西の中共は、軍事的な散歩をするつもりで、ロシア軍は北の北海道、中共軍は南の尖閣と沖縄本島に、既に進駐しているであろう。従って、現在の「亡国を知らない日本」を守っているのは戦前の英霊と、東日本大震災の時のように、事ある時に「簡単に命をかけてくる」自衛隊員即ち日本人だと先ず認識しなければならない。つまり、現在、日本を守っているのは思考停止の内閣ではない。次に、核からの防衛に関し、一九七七年(昭和五十二年)の西ドイツの決断を知る必要がある。これが現在の日本のモデルであるからだ。

この年、ソビエトは、中距離核弾頭ミサイルSS20をNATO(西ドイツ)に向けて実戦配備した。この事態に対し、西ドイツのヘルムート・シュミット首相は、「政治的、軍事的バランスの回復は、死活的に重要である」と演説し、ソビエトのSS20に対抗して、アメリカから中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡを導入してソビエトに向けて実戦配備した。つまり、「お前がミサイルを撃てば、確実にお前を殺す」という相互確証破壊の態勢を構築した。その上で、強力な軍縮圧力をソビエトにかけてSS20を撤去させたのだ。この時、西側の欧州では、学生や市民の激しい反核運動が起こったが、シュミット首相は、「死ぬより赤になるのがましか、赤になるより死ぬのがましか」と国民に問いかけ、パーシングⅡ導入を実現した。そして、ソビエト崩壊後、クレムリン秘密文書によって明らかになったことは、この時に西側で起こった激しい反核運動は、実はソビエトが仕掛けたということだ。

この同じ年の九月から十月にかけて、日本赤軍による日航機ダッカハイジャック事件が起こり、次に西ドイツ赤軍によるルフトハンザ機ハイジャック事件が起こった。日本の福田赳夫総理は、「人の命は地球より重い」と言って「超法規的措置」によってテロリストの要求を全面的に受け入れた。しかし、西ドイツのシュミット首相は、軍の特殊部隊をルフトハンザ機に突入させて逮捕した一人を除き他のテロリスト全員を射殺して人質全員を救出した。

さらに、この年の同じ九月、能登半島から日本人久米裕が北朝鮮工作員によって北朝鮮に拉致された。石川県警はその拉致の犯人を逮捕して供述を得ると共に乱数表の解読に成功して北朝鮮から送られてくる暗号電波が「日本人拉致指令」であることを察知した。警察庁は、石川県警の暗号解読成功を表彰した。よって、この時点で福田内閣は、北朝鮮による日本人拉致を察知したのだ。しかし、見て見ぬふりをして厳戒態勢の指示をせずに打ち過ぎた。その結果、北朝鮮は我が国内で日本人拉致の活動を継続し、十一月十五日に新潟で十三歳の横田めぐみさんを拉致して北朝鮮に連れ去ったのだ。

以上の通り概観すれば、一九七七年、昭和五十二年は、痛恨の年ではないか。我々は、この年から続く不作為の「つけ」を、現在、払はねばならない。

先ず、拉致被害者救出実現は当然である。菅内閣最大の任務だ。

同時に、広島と長崎に続いて三発目の核が我が国内で炸裂することを断じて許すことは出来ない。しかし、我が国こそ、北からロシア、北朝鮮、中共の核ミサイルに狙われている世界で一番核攻撃の脅威に直面している。そこで、菅総理は、かつての西ドイツのヘルムート・シュミット首相の如く、アメリカと談判して、日本にロシア、北朝鮮そして中共の核弾頭ミサイルに対抗する核弾頭ミサイルを導入すべきである。

その動きの中で、我が国内で激しい反核運動が起こるであろう。しかし、この運動は、明らかに我が国内の中国共産党分子とシンパが仕掛けるものである。従って、菅首相は、シュミット首相のように国民に問いかけるべきだ。「中共や北朝鮮の習近平や金正恩の手下になるより死ぬほうがましか?死ぬより習近平や金正恩の手下になるほうがましか?」と。その上で核弾頭ミサイル導入を実現されたい。

梶山静六先生に学んだのなら、お国の為に命を懸けて核ミサイルの脅威から国家と国民を護られたい。