ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危うし】 数は力だが真でも義でもない 三澤浩一 (武客)

戦後の我が国で、もっとも尊いもの、価値のあるもの、大切なもの、守るべきもの…と、称えられてきたのが、民主主義だ。それもアメリカを手本としてのものだろう。戦後民主主義と呼ぶべきものである。

共和党のトランプさんと民主党のバイデンさんとが、アメリカ合衆国の大統領選挙を戦った。バイデンさんが勝利したが、トランプさんは不正な投票が行われたと徹底抗戦の姿勢を見せている。

不正があったのかどうか、どちらが正当な当選をしたのか、訴訟はどうなるのか、いずれにしても醜態を曝してしまった。これが現在、世界一の経済力と軍事力を誇る超大国の姿なのか。戦後の我が国は愚かにも、こんな国を憧れ、目指してきたのである。

僕が子供のころ、戦後民主主義が礼讚されていた。多くの綺麗事ばかりを教えられたが、民主主義の本質は多数決だろう。数は力である。

民主主義は多数決ということで、質よりも量、金1キロと鉛1キロが同じ価値となり、民主政治は衆愚政治となりやすい。先人たちも、このことは理解していた。

民主主義は多数の幸福を求めているが、多数の横暴は許されず、少数の尊重を守らなければならない…という綺麗事がある。だが、現実は多数が優先されてきた、いる。それが否定できない現実である。理想を実際に行えるほど、人類は賢明ではない。

とはいっても、愚かな人類としては、次善の策として民主主義を否定できないところが、苦しいところだ。多数決をしないで、一部の独善的な輩が全て決めるのは怖い。選挙をしないで、世襲の愚かな貴族や偏差値だけが自慢の小役人さまが政治を行うのも恐ろしい。やはり、民主主義という次善の策に頼るしかないのか。

民主主義が最善の策ではないことを理解した上で、あくまでも次善または三善の策でしかないことを承知して、民主主義と付き合っていかなければならない。ということで、民主主義=多数決を批判していく。

戦後の我が国のアメリカ礼讚は酷い。こちらは敗戦国、あちらは戦勝国だから、仕方ないと、あきらめるのか。もっともアメリカ礼讚は戦後にはじまった訳ではなく、幕末にもあった。勝海舟先生や坂本龍馬先生が代表となる。

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