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【論説】あの偉人は本当に偉人だったのか?

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昔は悪の権化のような扱いだった歴史上の登場人物が、実は賢人だったと評価が180度変わる例がいくつもある。逆に、賢人だったはずの偉人が、実は社会不安の種を蒔いた失政者だったと烙印を押されることもある。

前者の例でいえば、天皇を蔑ろにした独裁者の一族という評価が一般的だった飛鳥時代の蘇我氏は、実は乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子や中臣鎌足らの一方的な誹謗中傷のみが後世の評価に影響しているのではないかとの見方に変わりつつある。

日本三大悪女の1人と言われる北条政子(ほか日野富子、淀殿)は、鎌倉幕府を源氏から北条家による執権政治へと権力を簒奪したかのように扱われることが多かった。しかし、最近では承久の乱に際して、集った御家人の心を一つにした名演説によって朝廷との対決を制した『尼将軍』の功績が評価され、武士の時代を確定させた偉人という評価が定着しつつある。

現在放映されている大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公明智光秀も同様だ。同時代には、今川義元や松永久秀、石田三成なども、専門家による研究結果が新書などで紹介されることで、イメージが数十年前に比べて明らかに好転している。

一方、イメージダウンの例でいえば、時代劇『暴れん坊将軍』のモデルとなったほど人気の高い徳川第8代将軍の吉宗があげられる。彼の行った享保の改革で幕府の財政は一時的に立ち直ったが、享保の大飢饉が生じると百姓一揆が多発し、米価が急騰、打ちこわしの騒ぎとなった。

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