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福沢諭吉と渋沢栄一の見た米国 堀芳康(國體護持研究家)

今から165年前の1855年、咸臨丸に乗船した日本人が日米修好通商条約批准の為に米国に向かいます。その時に一緒渡航した福沢諭吉が米国の歓迎の様子を「福翁自伝」で書いている。

陸上の見物人は黒山の如し。歓迎は至れり尽くせりで、不自由をさせぬようにと、衣食住の全てに気をまわしているのがよくわかった。更に、意外だったのは、航海で傷んだ咸臨丸の修復を依頼したのに、修繕費をとらなかった。何のことだと言わんばかりの態度だったというのだ。

福沢はこの時、文明国の良心に触れ、鎖国から日本を開いて西洋流の文明を導く事で、日本が世界から遅れをとらぬようにしたいと考えたのだろう。西洋文明に関しては、先生が米国、生徒が日本の関係であった日米両国に、やがて排日法案が成立し、大東亜戦争で戦うことになってしまったのは何故なのかを考えてみたい。

もう一人、日米の親善に尽力した渋沢栄一は、排日法案の成立にショックを受け、かつて自分が攘夷論者であった事を恥じたものの、その攘夷が間違っていなかったのではなかったかと思いなおした事を講演で述べている。

福沢も渋沢も初めは米国の親切に感銘を受けるのですが、突然、排日に動きだした米国。福沢諭吉は排日法が成立する20年以上前に亡くなっているのですが、渋沢はさぞ驚いたことでしょう。

この背景には、民主主義という政治の仕組みが関係しているのではないか、つまり、多数者の中に、排日法を望む人達がいたという事。中共が嫌いという人にも、人民解放軍の政府は嫌いだが、人は憎まないという人も居るくらいで、一般人は普通の人なのだと思っている。韓国にしてもそれは同じ。つまり、多数者の政治、中共などの一党独裁も含めて、その判断が正義を基礎に置くものではないのだ。

民主主義は、多数者の利益を守る為に、第三の権力、メディアも呼応して世論を形成する。民主主義の多数者には、少数者にはない腕力があって、正しい意見も弾圧してしまう。それが本質ではないかと思えてくる。中共の香港弾圧においても、正義が根底にあるのでなく、政治的な腕力の強いものが弱いものを排除する。

米国の排日法案の成立と、中共の香港弾圧はその背景に意外なつながりがあったのです。今、日本でも戦後支配体制に協力してきた自民党とメディアが、憲法無効論を排除し、国家再生を願う人達を受け入れない。同じ民族でもそうやって排除しているのが、今の民主主義と思うと情けないかぎりです。