ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危うし】 凶漢の汚名に死すも皇国守る 三澤浩一(武客)

憂国志士 内田良平

生きては官に養はれ

死しては神と祭らるる

幸ある人の多き世に

こは何事ぞ憂国の

志士てふものは国の為

尽しつくして草莽の

伏屋の軒に朽ち果つる

弔ふものは泣く虫の

声より外に亡き後も

不滅の精神 皇国守る

官給受けし役人に

収賄事件続出し

華冑の子弟赤化して

国体呪ふ国賊は

罪名重く刑軽し

憂国の志士雄健びて

事向けすれば忽ちに

絞首台下に繋がるる

刑重くして凶漢の

汚名に死すも 皇国守る

内田良平先生の「憂国志士」である。僕の大好きな歌だ。内田先生の『黒龍潤人歌集』という歌集に雑謡の1つとして発表されている。内田先生を見習い、僕も肉体が滅んでも、不滅の精神で、皇国を守りたいと願っている。国を守れないならば、賊を滅ぼしてやりたいと願う。護国は無理でも<滅賊の鬼>となりたい。

内田先生の歌集には、先生の還暦を記念して出された『黒龍潤人歌集』(昭和9年2月11日/黒龍會本部)と歿後に出された『歌袋』(昭和12年10月3日/黒龍會出版部)がある。この2冊は、『黒龍潤人歌集(全)<復刻版>』(昭和62年7月26日/内田良平大人五十年祭実行委員会)としてまとめられ、出版されている。大東塾(電話03ー3401ー0963)に問い合わせれば、現在も入手できるはずだ。

凶漢の汚名に死んだ憂国志士の代表的かつ典型的な人物が、朝日平吾烈士先生である。朝日烈士は明治23年7月7月26日(皇紀2550年/西暦1890年)に佐賀県に生まれ、幼くして長崎県に転居、長じてからは国事に奔走、大正10年(皇紀2581年/西暦1921年)9月28日の午前9時すぎ、大正維新の魁となり、安田財閥総帥の安田善次郎氏に天誅を下した後、その場において自刃された。満年齢で31歳だから、つい先日に還暦を迎えた僕の半分ぐらいの人生となる若さである。

9月28日は、朝日烈士の義挙日であり、殉節日である。本年すなわち令和2年(皇紀2680年/西暦2020年)9月28日は仏教でいえば、朝日烈士の百回忌となる。去る9月28日、朝日烈士の百回忌法要を執り行った。ちなみに来年は神道の百年祭となる。

僕が尊敬している中村武彦先生は、朝日烈士の義挙と殉節を激しく熱く称賛されていた。今でもハッキリと覚えている。朝日烈士は憂国志士の模範である。しかし、世間というか、社会というか、一般的には凶漢と呼ばれてしまっている。

朝日烈士ら憂国志士の義挙は、テロと呼ばれる思想的・宗教的・政治的直接行動と同一視され、賛否や是非がある。弱き民の強き閥に対する力の行使は肯定されるべきだと、僕は信じる。直接行動の全てを否定することには反対である。

僕は忠義を尽くすための力の行使を愛し、功業を得るための力の行使は憎む。我が国における義挙とは、忠義を尽くすための直接行動であると信じている。もちろん批判があることは承知の上だ。

朝日烈士の志操と行動については斬奸状と「死の叫び」と題する文章が遺されているので、僕ごときが云々するよりも、それらを直接お読みいただきたい。インターネットでも検索できるはずたから、お時間が許される方はご高覧いただきたいと願う。さらに朝日烈士は、内田先生、北一輝先生、藤田勇氏(毎日新聞社社長)あての遺書も遺されていたことも述べておく。

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