cc「中朝国境の旅」

連載第48回 【中朝国境の旅】   モンゴルに残る日本人死亡者慰霊碑 野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)

中朝国境は、年々、厳しくなってきた。私達夫婦がついに逮捕されてから、方々から、今は中国へ行かず、時節を待て、という忠告を頂いた。それで、夫・宮塚利雄と私は、中国は避け、モンゴル国に何回か行った。

モンゴルは最初に北朝鮮を国家として承認した国であり、その縁もあってか、北朝鮮とモンゴルへは遠いのに北朝鮮の労働者がモンゴル国へも出稼ぎに行っていたのだ。また、脱北者は中国から直接の国へ行くことが難しくなったため、中朝国境で中国側に入ってから、人目を忍んで、モンゴル国と中国の国境まで行き、モンゴル国から他の国へ行くルートも、当時はあった。脱北ブローカーが考えたルートなのだが、悪質な脱北ブローカーがモンゴルとの国境で脱北者を放り出して、知らん顔をする、という悲劇も多発した。

なお、必要のない確認かもしれないが、ここでのモンゴル国は、中国共産党が領土としている「内モンゴル自治区」ではない。

最初にモンゴル国に行った時は、飛行機が14時間遅れて、飛行機がくるまで、成田空港のロビーで待ち続けた。平成25年12月27日のことであった。冬なので、モンゴルは大雪であったという。年末でもあり、日本に留学していたモンゴル国の若者達の中に、日本人客である私達に、「モンゴルの飛行機はいつも遅れるんです。恥ずかしいことです。すみません。」と謝る青年もいた。話はそれるが、モンゴル国の人にはすなおに謝る人達が多くいる。私は、「元寇、すみませんでした」とモンゴルの人に言われたことがある。言われてすぐには何のことだか分からなかったが、鎌倉時代にモンゴル帝国軍が高麗軍と九州に襲来したことを謝罪しているのであった。

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