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【書評】 「私の身に起きたこと とあるウイグル人の証言」清水ともみ著 季節社 三浦小太郎(評論家)

清水ともみ氏は漫画の形で、中国政府の弾圧下にある様々なウイグル人の悲劇を作品化してきた。それは多くネット上に掲載され、英語、中国語他数か国語に翻訳されて広く世界に広まっている。そして、その記念すべき第一作だった、政治犯収容所を体験したウイグル人女性、ミフルグル・トゥルソンの証言が、こうして書籍化されることになった。

まず何よりも、本書が絵本のようなハードカバーで出版されたことを喜びたい。清水氏の簡潔な漫画のタッチは、出来るだけ大きく印刷されて出版されてほしい、そうしてこそ魅力が伝わると思っていたからだ。

表紙に、まっすぐ私たちの目を直視しているウイグル人女性の姿が描かれている。手は手錠に縛られているが、その目は少しも敗北感も恐怖も感じさせない。いや、恐怖などはすでに味わい尽くしたうえで、それに打ち勝った女性の精神がここに描かれている。そこには抑圧者への怒りというより、むしろ、このような事態を知りながらも何ら声を挙げようとしてこなかった私たちを含む世界を告発しているかのように見える。

ページをめくれば、そこには数々の残酷な拷問や虐待、罪のない赤ん坊が殺されていくさまが描かれてゆく。これをリアルな劇画調、もしくはもっと悲しい画で描こうとすれば清水氏の力量ならば可能だったろう。しかし、残酷さをリアルに描いたところで、それは単なる露悪趣味にしかならず、下手をすればサディスティックな刺激を読者に与えるだけでかえって現実味を失ってしまう。

清水氏は悲惨な事態を描きつつも、できるだけ感情的にならぬよう、著者自身の怒りをも抑制する画法を選んでいる。8ページ目、トゥルソン女史がわが子を殺されたシーン、あえて清水氏は母親の顔を描かない。12ページの拷問のシーンも象徴的にしか描かない。しかし、そのことがかえって、読者の想像力をかきたて、そこで行われている悲劇をまざまざと感じさせる。助けを求めて神の名前をよんだトゥルソン女史に対する中国人の残酷な嘲笑は、人間がここまで貧しい精神に落ち込むのだろうかという暗鬱たる思いを読者に浮かばせるが、同時に、信仰を失い、それによって人間性を失った現代人は、いつ、このような残酷さに陥らぬとも限らないことを教えてくれる。経済的な損得のために中国政府への批判を控える経済人、このような虐殺を行っている中国政府の主席を国賓待遇で招こうとしている日本の政治家が、果たしてこの中国人達とどれほど隔たっているのだろうか。

トゥルソン女史がこの地獄の収容所から解放されたのは、夫がエジプト国籍であり、エジプト政府が自国民保護の立場から動いてくれたからだった。釈放されたとき、トゥルソン女史は、自分が逮捕された理由を中国人看守に問う。その答えは「それはお前がウイグル人だからだ」だった。その言葉を聴いた時のトゥルソン女史の表情は、彼女の秘めた怒りと決意を見事に表現している。ウイグル人

であることが犯罪であり収容所に入れられる理由となるならば、それは完全な民族絶滅政策である。沈黙していれば殺されるしかない。彼女はこの時、残された囚人たちのためにも、証言することを決意したのだ。ここには如何なる暴虐な権力にも、恐怖にも屈しない人間精神の輝きが描かれている。

トゥルソン女史は今アメリカに住む。一度は彼女を助けたエジプトだったが、やがて、国内に住むウイグル人を中国に送還し始めたのだ。中国の経済と武力を背景にした恐喝外交は、今一帯一路の名のもとに世界を暴力的に支配しようとしている。この絵本の最期のページで、今はアメリカに住むトゥルソン女史の姿が、それまでの絵とは違い写真そのもののリアルな姿で描かれる。この漫画で描かれていることが現実であること、この女性は今の闘い続けていることが痛烈なメッセージとして読者の心を貫く。この絵本が、一般にもさらに多くの読者を持つこと、そして出来れば全国の学校や図書館などに置かれることを望みたい。子供たちは、世界には暴力と残酷がまだまだ存在すること、しかし、人間はそれと闘う勇気を持ちうることを知ることになるだろう。(終)