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裁量の余地がなくなるコロナ禍の厳格化社会     大橋 渉(塾講師)

コロナ禍で収益急減に見舞われた企業が綱紀粛正を強めている。大手私塾に勤める営業力抜群の知人は、その煽りを受ける形で危機に直面している。

 

知人は生徒が少ない教室をテコ入れするため、昨夏に新たなエリアを担当し、夏休みの間に桁違いの入塾契約を獲得した。立て板に水を流すような営業トークの冴えと表情の柔らかさは抜群の信頼感を顧客に与え、9割以上の保護者がその場でサインをしてしまう。ただ、塾経営の難しいところは、生徒が増えても講師を急には増やせない点である。

 

しかも、生徒の親の中には「大学生の講師は嫌だ」と、社会人講師を希望するニーズが一定割合で存在する。大学生の場合、求人広告を出せば欠員をいくらでも補充できるが、講師経験のある社会人となると決まったエリアにそう多くは見つからない。

 

そこで、知人は私を含む社会人講師数人に、大学生の倍以上の手当を出すので、生徒を指導してほしいと依頼した。大学生に比べトラブルの少ないプロ講師は安心感があったのか、次々と新規生徒を紹介され、1か月で100コマ以上(土日除く1日平均5コマ)も担当することになった。

 

しかし、翌月になって給与明細を見ると、提示された給与の半分にも満たない額しか振り込まれていない。どういうことかと尋ねると、どうやら正規ルートで本社の許可を得ているわけではなく、担当者の権限で日中にスタッフとして働いてもらったことにして、その分を標準給与に上乗せするスキームだと言う。ところが、肝心のスタッフ給は、私が別のキャンパスでスタッフ業務に就くことが多く、業務重複により大部分が自動的に弾かれてしまったようだという。

 

知人は一計を案じた。塾業界は2月以降に閑散期に入るため、受験シーズン終了後に減少した授業の時間にスタ給を宛がうことで相殺するから問題ないとの回答だった。それを聞いた昨年9月の時点で、未払いの給与は不良債権化していく予感がした。会社所有の携帯電話さえも使用履歴がチェックされる昨今、大手私塾がそんなに多額の給与横流しを見過ごすとも思えない。知人の立場は大丈夫なのか、本当にそのスキームに問題はないのかと何度も確認したが、知人は全く問題ないと言う。

 

しかし、社会人を25年も続けていれば、こうした企みは組織の中で必ず問題化すると経験的に感じていた。別の選択肢がないかと検討してみたが、知人との契約を拒めば、既に働いた給与の半額以上が手に入らず、知人との関係も破綻し、仕事も減る。一方、2月まで現状で持ち堪えれば、来夏までには給与も完済すると知人は確約する。

 

乗りかけた船というものは、乗船前なら発生しなかった様々な弊害に気付いても船上では後の祭りで対策のしようがない。自分が何か違反しているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもない。むしろ、困っている知人を助けただけである。知人の地位と自分の収入が安泰であることを願って、2月を待った。その間にも未払い給与は増え続け、数十万円となっていった。

 

そこにコロナ禍が到来した。本社が一部社員の一か月間休職を決定する中で監査が厳しくなり、スタッフの整理も行われ、知人の担当するエリアの未払い給与が本社に発覚した。

 

社員らは「未払い給与問題とは関係ない」というものの、知人は他部署に配置転換された。新たな担当者は「口約束とはいえ、未払い分の給与は振り込む」と支払いの意思を明言してくれたものの、配置転換された知人の立場が心配になったので「彼が社内で処分されるのは心苦しいので、諦めてもいい」と意思表示した。

 

知人は塾と生徒と講師のために調整しただけで、社内的には不正かもしれないが悪意はなく、現場の判断でベターと判断した対応を行ったに過ぎない。寛大な裁きを求めたが、担当者の返答はにべもなかった。私の分の未払い給与は氷山の一角に過ぎず、1人が権利放棄をしても知人の処分には影響しないという。また、すでに本社内では上層部まで話が伝わり、自分レベルでどうなるものでもなく、処分の有無さえ決まっていないという。

 

雇われ講師の私に為す術はない。コロナ禍で余裕がなくなった企業は、営業員の裁量の余地を奪う。優秀な営業員は淘汰され、マニュアルに忠実な“公安”社員が出世する。社会に余裕がなくなると、現場の裁量で済んでいた話も問題視され、個性的な社員ははみ出し者と見做されるのである。

 

少し飛躍するかもしれないが、国家も同様である。ヒトラー率いるナチスドイツもスターリン時代の旧ソ連も毛沢東時代の中国も、さらには今の北朝鮮も……経済的な余裕のない国々では告げ口や粛清が横行し、個性的な人間は次々と排除される。プラス方向に立ち行かなくなった社会は、マイナスの排除に目が行き、人々から自由な空気を奪っていく。ウィンウィンの相乗効果を探すのではなく、内外の仮想敵を探し、足の引っ張り合いが始まる。

 

煎じ詰めれば、社会の自由度は、人々にどの程度の精神的な余裕があるか否かで決まっていく。経済に好不況がある限り、私たちが意識していないだけで、自由度も常に変化している。バブルの時代が今からみれば異常な時代に映るのも、あまりの自由度に別次元の世界に見えるからだろう。未払い給与の行く末よりも、今となっては自由の翼を捥がれた知人の精神状態が心配な毎日である。