ken「筆は剣よりも危うし」

「光があるところには影がある」 三澤浩一(武客)

 これは何かの台詞だった。名台詞である。しかし、これを真実、真理かと錯覚してしまうが、実は違う。

 

 たしかに影があるためには光がなければならない。光がなければ、闇しかない。光がなければ、影はありえないのは、真理といえる。

 

 だが、必ずしも光あるところに影がある訳ではない。まっ平らな大地、何一つ凹凸がところだと、いくら太陽が照らしても、影なぞはできまい。影ができるためには、何かしらの凹凸がなければならない。何の凹凸もないところならば、いくら光があっても影はないのである。逆にいえば、影があるのは何かしらの凹凸があるからだ。

 

 影があるのは光がある証であるとともに凸凹、すなはち起伏、生死、興亡などがある証でもある。ある意味、影があることは生きている証といえる。

 

 蛇足となるが一言。闇は影とは違う。闇とは、光が全くない世界だからである。闇は恐ろしい。光がない闇には灯を点さなければならない。闇を灯で照らすことは、人として生まれたものの役目といえる。

 

 歴史に置き換えれば、どうか。凹凸とは営みである。歴史とは人の営みの積み重ねと考えれば、歴史に光と影があるのは当然だし、影がないと考えることは異常といえる。影を恥じる必要はない。歴史に影ができるのを反省したり、後悔したりするのは当然であり、必要である。しかし、否定したり、隠蔽したり、ましてや改竄してはならない。

 

 我が国史において、神武肇国と並んで、燦然と輝く光は明治維新である。明治天皇さまを仰いだ偉大かつ勇敢な志士たち先人の奮励努力によって、この大偉業は成し遂げられた。

 

 7月30日は、明治天皇祭である。明治天皇さまのご命日だ。明治天皇さまは明治45年7月30日に崩御あそばされた。

 

 7月30日の午前、明治神宮に参拝した。1月5日の軍人勅諭下賜記念日に参拝して以来だから、半年ぶりとなる。本来は「皇軍節」と仰ぐべき1月5日、明治神宮に毎年お参りしている。明治神宮の後、東郷神社、乃木神社、靖国神社にも参拝するのが、年中行事となっている。皇軍節というべき1月5日、明治天皇祭の7月30日、明治節の11月3日、参拝するように心がけてきた。

 

 7月30日は午前10時より、明治天皇祭が執り行われていたので、社頭で参拝してきた。今年は梅雨が長引き、ようやく8月1日に梅雨が明けた。まだ梅雨だったため、7月30日は曇天の下での参拝となった。添付したのは、そのときの写真である。

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