cc「中朝国境の旅」

【中朝国境の旅】連載第47回 北朝鮮のトウモロコシ 野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)

平成23年9月、私は一人で中国の延辺に行った。夫の宮塚利雄から行ってくれと頼まれたのだ。彼はその時、大変忙しかった。私が尻込みいていると、

「あなたなら、大丈夫です。」と彼が言った。しょうがないので、一人で行った。飛行機のチケットは夫が手配してくれた。

私はいつも中朝国境へは夫がいるから行くのであって、一人で行くことになるとは夢にも考えなかった。中朝国境が不安な理由は、まず、私には言葉が分からない。飛行場の案内の標識も分からない。中国の街はなんだか怖い。

そんな私を気遣って、夫は、いつもの案内人に私のエスコートを頼んでくれたが、その案内人も忙しいので、日本に留学した経験のある青年をその案内人が紹介してくれた。彼は日本語が話せるから、大丈夫であろう、と夫は言った。

しかし、私は延吉飛行場でその青年に会うまで、大変不安であった。中国の空港は私には苦痛であった。空港のスタッフは不親切だし、空港を利用する多くの中国人達はいつも大声で喧嘩をしているように話している。それに、空港に出入りする際の検査や様々な手続きのとき、我先にと乗客が殺到するのだ。人々が皆、並んでいて、順番に手続きや検査が行われていれば、自分もその列に並んで、いつかは、検査や手続きを済ませることができると安心できるが、中国の空港ではいつも、人をかき分け、押しのけて前に進まなければ、飛行機に乗ることも、空港から外に出ることもできないような気がする。

また、私が向かう延吉空港で、過去、目的の便について、空港ロビーに表示されている電光掲示板の時間と、搭乗口に示されたカードに書かれている時間と、2分食い違っていることがあった。便名は同じであるので、これに乗り、無事に帰ったが、ちょっと不安であった。そんなこともあり、中国へ一人で行くのは恐ろしかった。

延吉空港へ着いて外に出ると、顔を見慣れたいつもの案内人が出迎えてくれた。横には、日本留学経験のある青年が立っていた。案内人は手短に私に彼を紹介してくれた。いつもの案内人も日本留学経験があり、青年もその案内人も、日本語が達者であった。中国に住む朝鮮族の人々は、全て、朝鮮語と中国語を流暢に話す。その上に、日本に留学経験のある者は、日本語も流暢に話せるようになるのだ。この二人は、なまりもほとんどなく、よどみなく、三つの言語を操っていた。

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