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[私の尊皇論] 堀 芳康(國體護持研究家)

尊皇論は一般的には、皇室を神聖なものとして尊敬することを主張した思想で、その源流は、漢学(孟子)の王覇の弁えであり、明治維新の「尊皇攘夷」の尊皇以前は、世俗的な権力を行使する幕府を覇とし皇室を王とする考えが広まり、水戸学を中心に生まれた尊王論につながる。

最近の尊皇論者は、皇室を尊敬する事には吝かではないが、天皇が象徴であって、主権の存する日本国民の総意に基づく占領憲法第一条には反対しないという人達が多いのには驚く。GHQの国家破壊思想に疑問を抱かないように、協力する連中が知識人と呼ばれる人達にも多すぎるのでしょう。

世界最古の国日本は、皇室が途切れることなく継承されてきた事でギネスでも認識されているのですが、建国をたどれば、皇室の歴史は、日本統治の歴史であり、孔子がひたすら追い求めた民を安んじたといわれる「先王の道」の理想がそこに存在していました。

鎌倉時代、武士があらわれ、王者(天皇)の権威に基づく委任により、覇者(武士)がその権力によって統治する政治形態がその後700年近く続くことになっても、皇室の血統は失われることなく続いて行く。

覇者の政治が終わった時、明らかに700年前の天皇の治国平天下の道を実行するだけではすまない問題が起こっていた。それは孔子が考えた民を安んずる道だけではすまない欧米の侵略から国家を守る必要でした。

それは「先王」がいた頃の支那では想像もしなかった事だったのかも知れません。

その為に必要な4つの柱がありました。一つは、国民の生命と財産を守る為の高度な軍事力であり、二つは、国際社会に認められる上で必要な憲法であり、三つめは領土(皇土)の確定と保持です。そして、徳川幕府がないがしろにした天皇の精神的支柱としての復活です。

帝国憲法第4条にあるように、天皇が国の元首にして統治権を総攬するという事で、拒否権を行使する事が憲法上認められ、700年ぶりに、天皇の治国平天下の道が復活したのです。

せっかく、日本という国になくてはならない、天皇の日本国の元首としての地位は、敗戦でおかしな憲法をおしつけられ、個別的自衛権も失って、国家として必要な主張が出来なくなった今の日本では、天皇と国家の問題を切り離して考えるというおかしな事をやる人が増えてきました。

日本には元首としての天皇が歴史的に必要であり、軍事力、正統憲法、皇土保持と合わせて、本当の尊皇論を語る必要があると私は考えています。