gosei「天皇御製に学ぶ」

【天皇御製に学ぶ】 第四十六回 四宮正貴(四宮政治経済研究所所長)

後堀河天皇御製

 

 

「山の端を 分出(わけい)づる月の はつかにも 見てこそ人は 人をこふなれ 」

 

「くりかへし 賤(しづ)のをだまき 幾度も とほき昔を 戀ひぬ日ぞなき」

 

(『新勅撰和歌集』)

 

第八十六代・後堀河天皇は、高倉天皇の第二皇子。第八十二代・後鳥羽上皇の御兄君であらせられる守貞(もりさだ)親王(後高倉院)の第三皇子であらせられる。つまり後鳥羽上皇の甥にあたられる。

 

「承久の乱」の後、立太子礼を経ずして、仲恭天皇廃位後、同日の承久三年(一二二一)年七月九日御年十一歳で践祚。貞永元(一二三二)年十月四日、まだ御年二歳の第八十七代・四条天皇に譲位され、院政を行はせられた。

 

しかし、後堀河天皇はそれから二年足らずの、天福二(一二三四)年八月六日に御年二十三歳で崩御された。崩御が急だったため、かつて後堀河天皇から天台座主の地位を約束されたものの反故にされた僧の怨霊の祟りだとか、後鳥羽上皇の生霊のなせる怪異であるなどと噂されたといはれる。この中世時代は、戦乱の時代であり、無念の死を遂げた人や僻地に追放された人が多かったので、怨霊とか生霊の祟りを恐れる人も多かったと考へられる。

 

後堀河天皇は、皇室の伝統を尊ばれ、和歌・文学を好まれたと承る。また、『新勅撰集』撰進を命じられ、藤原道家、藤原教実、藤原定家らが、文暦二(一二三五)年完成された。

 

後堀河天皇の御陵墓は、京都市東山区今熊野の泉涌寺にある観音寺陵である。

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