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[革命は静かにやってくる] その3 子供、子ども、こども、どれが正しい表記!? 表記禁止から始まる言葉狩り

「子供達が~~」と書いてはいけないそうだ。

「供」は「御供」に繋がり隷属する存在になるそうだ。

「子どもたちが~~」と書くのが正解という。

 

言葉は歴史であり、文化表現である。

芸術や文化は、理論と理屈で出来上がっているわけではなく、感性や表現法が必要となる。

 

日本人は言葉を大切にし、言葉に魂を込めたのが「言霊」となり現在も生きている。

 

その言葉を、異常な理屈で消させようという動きが最近、著しい。

一例をあげると、「目上の方」「目下の人」もアウトである。

同じように「婦人」も「女性」としなければならない。なぜなら女偏の右に箒が付き

家庭への隷属になるからだそうだ。

あほらしいが、これまた現代の人権やら個人優先やらのおかげで、これらが大手を振ってまかり通っているのだ。

 

異常すぎないか?

 

言葉を奪うことは、その国の解体をする適切な方法である。

韓国は「言葉を奪われた=国の文化・芸術を奪われた」と世界に喧伝しまくっている。

実際に韓国の言葉を奪った事実はない。しかし、同じ論法を左翼は日本に対して行っているのである。

 

一体この記載事例は誰が決めているのだろうか?

 

 

新聞、マスコミ関係では、「記者ハンドブック」という辞書に基づいて記事が書かれている。

共同通信社が出しているものだが、これが現在のマスコミ用表記の基礎となる。

まずこれにより使用できる言葉が決まってきて、それが標準となっていく。

 

風潮が出来れば、それ以外の言葉使いは校正や校閲で糺されることになり、「子供」は

「子ども」になり、「婦人誌」は「女性誌」になっていく。

 

こうして日本の言葉は、限りなく簡略に、一方的な理屈により壊されつつあるのだ。

言葉の問題は、大げさではなく、その国の文化や芸術に直結する大切な要素である。

このぐらい、と侮っている間に、「日本語が二ホン語」になってくることに、警戒すべきと感じる今日この頃である。