gosei「天皇御製に学ぶ」

【天皇御製に学ぶ】 第四十五回 四宮正貴(四宮政治経済研究所代表)

靈元天皇御製

 

神社(元禄五年―一六九二―御年三十九歳)

 

そのかみの 教たがはぬ 宮どころ いすゞの河の すゑもいく千代

 

第百十二代靈元天皇は、後水尾天皇の第十九皇子。母君は新広義門院藤原基子。御名は識仁、幼称は高貴宮。長期間廃絶していた大嘗祭・立太子等、朝儀の大典を復興された。また,有職故実や宮中記録の整備に意を払はれた。

ご在位二十三年で東山天皇にご譲位、以来四十六年間にわたって院政を行はれる。和歌を能くせられ、後西天皇より「古今伝授」を受けられ、六千首に及ぶ詠歌と多数の著書を遺された。享保十七年(一七三二)御年七十九歳にて崩御。

御陵墓は、京都市東山区今熊野にあり、月輪陵(九重塔)と申し上げる。

「宮中祭祀の大部分は明治以降につくられたもの。江戸時代に復活した新嘗祭も含めて、古代のものが連綿と今につながっているというわけではない。仮にいまの宮中祭祀をなくしたとしても、皇室の姿が明治以降から、明治以前に戻るだけだと考えることもできる」といふ論議がある。

明治以降の「宮中祭祀」は、「神武創業への回帰」といふ維新の理想実現を目指しつつ日本傳統信仰と皇室の傳統を基本として、「宮中祭祀」の本来の姿の回復が図られたのである。決して明治維新後に「つくられた」のではない。

「本来行はれるべき祭祀などの朝儀の復活・充実」は、江戸期を通じて、朝廷の深き御希望であった。それが明治維新によって実現したのである。古代以来行はれてきた「新嘗祭」は、何千年の間に時代と共に洗練に洗練が重ねられて今日まで伝承されて来た。 

靈元天皇をはじめとした江戸時代の歴代天皇は、朝廷の儀式を調査・研究あそばされ、「応仁の乱」以来衰退してゐた朝廷の儀式の再興に努力あそばされた。そして、実際に皇太子冊立の儀・伊勢例幣使・賀茂祭など多くの朝儀が再興された。

そして、東山天皇の御代の貞享四年(一六八七)十一月十六日、後土御門天皇即位時の以来中絶してゐた大嘗祭が、二百二十一年ぶりに略儀ではあったが再興された。桜町天皇の御代の元文三年(一七三八)には大嘗祭と新嘗祭が本格的に再興された。

江戸期の歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

 

後陽成天皇
天てらす神のいがきのすゑとほく治めしるべき世をや祈らむ
神にしもなほ祈りなば治まれる世のゆくすゑは千代もかぎらじ

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