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[江戸時代の国民性と崩壊に至るプロセス]   堀 芳康(國體護持研究家)

前回、明治維新の起こった原因として、大川周明氏は國史概論の中で、「真の維新は復古である」といい、善なるものの力が弱まり、悪なるものが横行する時、革新の必要性は高まると書きました。

倒幕に至った直接の原因として、ペルリの来寇や不平等条約を強いられた等は、これまで書かれているが、江戸時代の国民性については、あまり語られたものがなかったように思うのでその本質に触れながら、倒幕に至る流れを確認してゆきたい。

まず家康の学問奨励策はその土地の僧侶を核として、読み書きを学ぶ事が義務とされた。中心だったのが儒教、仏教だった。儒教は人として生きるべ最低限の道徳が教えられ、仏教は平和を愛好する為の精神を育んだ。それを思えば、現代教育がいきなり人として守るべき道徳や規範を教えることなく、競争社会の中に放り込むことと比べたら、江戸時代の子供達の方が余程、幸せだったのではないかと思うところもある。

今でよく言われる「お天道様」はこの時代に定着している。幕府の官学者だった藤原惺窩は

「天道とは天地の間の主人なり。かたちもなきゆえに目に見えず、しかれども春夏秋冬の次第のみだれぬごとくに、四時を行ひ人間を生ずる事も、花さき実なることも、五穀を生ずる事もみな天道のしわざなり」と書き、人の心もこれとよく似ており、天と一体のものとする天人合一の思想をといたが、これが民衆の間に拡がった。

儒教は道徳の根本を孝悌におき、親兄弟や家族、ご先祖様や氏神を通した地域社会を安定化せしめ、さらに、天道という秩序は名分論を生み、階級的秩序が社会の秩序として必要なことであることを説明する。ここまで見てくれば、家族論や地域社会論は、江戸時代は連続性があり、核家族化した現代社会の方が余程弱体化していると言わざるを得ない。

また、家康によって寺院の特権を保護され、収入を回復した僧侶は、政治的参与は失ったものの、寺院は学問の場として地域社会の中に溶け込み、住職は僧としての徳より、学識を称賛されて、今でいう教師のような存在となった。

もし、この政策に問題がなければ、徳川時代はまだ終わる事がなかったかも知れないが、そうはいかなかったのである。

徳川幕府の思想弾圧は確かに先王の道とは遠くかけ離れたものであるが、決定的な影響を与えたとは考えにくい。次回は思想弾圧と山鹿素行の流罪について