shohyo「書評」

美濃部亮吉「都知事12年」と朝鮮大学認可 三浦小太郎

美濃部都知事の朝鮮大学校認可

 

 去る二〇一二年三月八日、当時の東京都知事、石原慎太郎は、救う会全国協議会会長西岡力会長、拉致被害者家族会会長飯塚繁雄氏、事務局長増元照明氏(当時)と会見している。そこで語られた主たるテーマはもちろん拉致問題だが、そこで西岡氏が、美濃部亮吉都政下で朝鮮大学校を各種学校として認可した対応を見直すよう求めたのに対し、石原知事は、経緯を改めて調査する意向を示したと報じられた。(産経新聞)

 結局その後「調査」がどこまで行われたのかはわからないが、当時この記事を読んで私が真っ先に思い出したのが、美濃部都知事の三選出馬に石原慎太郎が挑戦した一九七五年の都知事選だった(この選挙を石原陣営の側から見事にドキュメントとして描いたのが沢木耕太郎の「馬車は走る」(文春文庫)に収録された「シジフォスの四十日」であるが、これは私の知る限りもっともすぐれた石原論である)。この選挙の直前、美濃部亮吉都知事は、社会党・共産党の両党共闘が困難になったとして一時は出馬を辞退する方向に動いていた。美濃部は自著「都知事12年」(朝日新聞社)の中でこう記している(本稿では、特に記さない限り美濃部の発言、文章はこの本による)

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