contribution寄稿・コラム

コロナ肺炎とペストと北里柴三郎 桂和子(正しい歴史を伝える会代表)

コロナ肺炎が世界中で猛威をふるっています。外出もままならず、終息の見通しもたたずの日々ですが、失望しないでください。世界の医学は日々進歩し、日本でも対コロナ薬や正確な検査結果を出せる検査キットが既に作られてました。頑張りましょう!

今回の肺炎騒ぎで改めて注目をされているのは、歴史に残るようなペスト等の感染症のほとんどが中国で発生しているらしいことです。更にはその病気の流行が中国歴代王朝を交代させる大きな要因の一つになっていたことです。病気が流行すると働き手がいなくなり、経済がガタガタになり、国を揺るがすような騒乱がおこります。その結果、民衆により王朝が倒されました。

今回のコロナ肺炎で習金平独裁王朝が倒れると予測するむきも少なくありません。私もそうかも知れないと推測しますが、今後の中国の動きを注視していきたいと思います。

さて日本の医学界に視点を移したいと思います。日本の医療は世界的にも高いレベルであると同時に、医療関係の方達の不断の努力により、今のところ無難に運営されています。この素晴らしい日本医学会の基礎を作ったのが、北里柴三郎博士です。

北里柴三郎はペリーが浦賀に来航した1853年、熊本県に生まれました。(ペリーは太平洋を渡って来たのではなく、インド周りで来日しました。)その翌年には日米の間に「日米和親条約」が結ばれ、日本の激動の時代が始まったのです。そんな時代の波の中長じた北里は、1885年(明治18年)ドイツのベルリン大学に留学しました。4年後の1889年には世界で初めて破傷風菌だけを取り出し、翌年1890年には破傷風菌抗毒素を発見。世界の医学界を驚嘆させたのです。それだけでは終わらず、血清療法という菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出すという画期的な手法を開発しました。ノーベル医学賞の候補にさえなったのですが、残念なことに共同研究者のベーリングのみが受賞しました。その後帰国した北里は1894年(明治27年)ペストが蔓延している香港に政府より派遣され、これも世界で初めて、ペスト菌を発見したのです。

鼠が媒介するペストは、14世紀ごろモンゴル軍を介して中国からヨーロッパに広がりました。ペストの威力はすざまじく、当時のヨーロッパ人口の30~60%に当たる5000万人が亡くなりました。はっきりした原因も治療法も分からず、次々と周りの人が死んでいくという恐ろしい病気でした。しかし病原菌が分かれば、対処法も分かってきます。北里がペスト菌を発見したのは、これも凄いことでしたが、残念ながら北里博士は生涯ノーベル賞を受けることはなかったのです。

「人種差別」が原因だったという説もありますが、私もそうかも知れないと愚行致します。北里の働きがあまりにも素晴らしいのと、当時の人種差別の酷さを聞いているからです。

当時の白人世界は「ダーウィンの進化論」により、「白人は能力的にも有色人種より優れている。」というのが通説になっていて、植民地経営にもこの思想が使われていました。その思想を覆したのが大東亜戦争です。私は、そんな厳しい白人世界の中で、西欧の学問を学び吸収していった北里柴三郎博士はじめ先人の方達へ、敬愛と尊敬の念を抱かずにはいられません。

「正しい歴史を伝える会」桂和子