contribution寄稿・コラム

【日本の民主主義について】 堀 芳康(國體護持研究家)

2015年、安倍総理が米国議会で民主主義を賛美した話を前回に書きました。

日本の民主主義の話ですが、民主主義という言葉には二つの側面があります。

一つは、政治の世界において意志決定を行う「手段」としての側面で、討論を重ねて審議を深めて、説得と合議に至るというプロセス。

もう一つは、「主権」の存在をさす言葉としての民主という言葉です。それは国民に主権があるという意味になり、戦前の日本では天皇が統治すると憲法でしたので、民主主義という言葉は避けられて、民本主義という言葉を生みました。

これは大正デモクラシー運動が起こり始めた頃、東京帝国大学教授の吉野作造の論文で、浸透し始める。日本の民主主義の前進としての民本主義には民を本にするという意味であり、この時の民は被治者という民ではなく、治者である天皇に仕える臣下としての「臣民」であったことも見逃せない。

また、民を本にするという事は、今のように財界中心ではなく、政権運用の終局の目的が臣民の為にあることであり、決定事項が同じく臣民の意向に沿うものである事を要求するものであった。その政権運用が民を本にしているかどうかを、更に統治する天皇のご裁可があるのだから、今の民主主義とは違ってくる。

今の民主主義の問題として、討論や審議を重ねて説得と合議に至るという側面は、失われつつある。まず参議院は、衆議院と同様の選挙による議員抽出制であり、二院制という本来の役割は失われ、政党自体が数の論理で審議を拒否すれば、それが国民の議会への意思の反映することの妨害となってしまうという問題を生む。

現代の民主主義は名前だけは合議制であるが、実態は民を本にしていないばかりか、多数決原理によって少数者を弾圧するような中身になっています。

歴史を遡れば、伝統国家である日本には、聖徳太子の十七条憲法があります。

これは官吏への規範として書かれましたが、後世に影響を与えた事は、武家の式目が十七ケ条であることからわかります。

第一条は「和の精神」として有名ですが、第十七条の「衆議の勧め」は明治天皇の五カ条の御誓文に引き継がれました。また「独り断ずべからず。必ず衆とともに論ずべし」は民主的な運用をすすめた規範として注目されます。

聖徳太子から武家式目、明治憲法へと引き継がれた規範は、敗戦後、全く違うものになりました。今の民主主義は賛美するには程遠い。復古が必要でしょう。