contribution寄稿・コラム

【随想】  家族の風景―相続ゴタゴター   大橋 渉

 

①母の遺言書が破られた

 

相続争いほど醜いものはないと思っていたが、お金を巡る争いは何も金銭欲だけではないという事を母の相続を巡る手続きの中で気付かされた。

2年前になくなった母の定期預金や自宅不動産所有権を相続しなければならない。それだけの事なら相続者である父と兄、私で2分の1と各4分の1を分ければ良い話である。

しかし、父は母の生命保険分を手にし、脳出血で倒れてからここ10年間は入院費も生活費も介護費も全て家計からの持ち出しで、本人の貯金はほとんど無い。年金も支払ってなかったから、母の遺族年金から月3万円だけ食費に回してもらっているが、それは父の善意に非ず、亡き母の善意である。しかし父本人に感謝の概念はなく、家族から放り出されても生きていけるように仏壇に置かれた見舞金や還付金な1どは報告もなく懐に収めようとする。

そんな父の悪癖を母も知っていたので、私には生前「少ないけど遺産は子供と孫に使ってほしい」と相談され、遺言書には兄と私に全財産を譲る旨の記載をして託された。

母の死後、遺言書があることを確認したいと言われたので、母の印影で封印された封筒を居間にしばらくの間、置いていた。検認手続きのために家裁へ行ったところ、封筒はハサミで切られていた。上の折り返し部分をほぼ平行に切り取っていたために直前まで気づかず、呆然とする私に裁判官が確認を求める。遺言書を手渡しながら「たった今気付いたのですが……」と打ち明けると、裁判官も事情を聞いた上で検認印を捺してくれた。通常なら開封されてしまった遺言書は認められないが、無効となれば家族間に致命的な亀裂が生じると察してくれたのかもしれない。

中身を破棄しなかった分だけ、父にも最低限の良識は残っていたと前向きにとらえるしかない。開封した行為は80歳の年齢から痴呆症で説明できない事もない。逆にそう考えて私自身を諌めなければ、母の遺志に泥を塗る行為に我慢がならない。40年余りに至る父との思い出の多くが、こうした怒りや苛立ちに近い事件ばかりである。

 

②相続と墓と教育

 

そうやって母からの死後ほぼ2年ぶりに相続手続きを始めたものの、これが本当に面倒くさい。裁判所への検認手続きもそうだが、戸籍謄本や印鑑証明書、住民票などを毎回取り揃えないといけないのだ。法務局で相続情報証明書を発行してもらえば金融機関によっては各相続者の戸籍謄本の代わりとなるので、先ずはそれを作る手続きからスタートするが、そこで先ず一式を取り揃えないといけない。発行したはいいが、金融機関によってこの証明書だけでは足りないと言われるから厄介だ。

それが面倒なこともあって、2年近くも放ったらかしになったのだが、兄には「今頃になって色々と期限つけて命令してくるね」等と嫌味を言われる。こちらは無償であれこれ動いているのに腹立たしい嫌味だが、相続手続きで諍いとなってはもう何も進まなくなるので、ここはぐっと我慢である。

頭を下げられる人間の方が賢い証なのだと自らをなだめつつ、兄に遅れた謝罪と重ねて協力に感謝する旨のLINEを送る。すると、兄もこちらの事情を察して協力するとのメッセージ。ホッとしたのも束の間、すぐに追伸が送られ、長女の学費と寮費が相当に嵩み教育ローンでどうにか乗り切る旨と、母の正式な墓を長野に作る旨のメッセージ……。

前者はいい。長女の学費のためなら母も喜んで遺産を使ってほしいと思うだろう。その額がパイロットになる為の航空大学で4年間2000万円もかかると言われても、どこかの大臣のように「身の丈に合わせて進路を選べ」とまで忠告する権利が叔父である私にはないと思うので、兄夫婦がそれで了解したのならやむを得まい。

これだけが理由であれば、私は母の全財産を兄に譲るつもりである。ところが、墓を長野に作るための資金に充てるというのならば、話は変わってくる。長野は兄が農業をするために移り住んだ土地であり、母にも私にも思い入れがない。縁もゆかりもない。その買い物に母が納得するとは思えない。

父はゆくゆくは母と共に故郷の熊本にある本家の墓に両親とともに埋葬されることを望んでいる。母は私と同様に墓に対するこだわりのない人で、死後は土に帰ればいいという人だった。しかし日光で育った母は熊本にだけは骨を埋めたくないと拒否していた。

だから私は母の生前、終活の中で話し合い、都内の共同供養墓もしくは納骨堂に入ることで快諾してもらった。母は私と同じで、他人の心の負担になることを極端に嫌う人だったから、孫や曾孫の代に墓の世話をさせる事を望んでいなかった。

ところが、父や兄は考え方が全く違う。いや、都会育ちの兄は私や母の考え方に理解するところはあるのだが、兄嫁は墓信仰が強い地方の山形出身なので、墓への信仰心が半端ではない。共同供養墓の存在そのものが堪えられないかのような考え方の持ち主である。しかし、一方でそれは母への愛情の裏返しでもある。

 

③相続争いは予算を巡る家庭内の政治闘争である

父からも兄嫁からも強い抵抗を受けたものの、皆が納得する解決策はなく、3年間は骨壷を保存できるので仮安置として私の考えに賛同してもらった。通夜から告別式、埋葬まで全ての手続きを私が行い、私の中ではそれで墓問題は解決したはずだった。

ところが、今、また相続話の中で墓作りを持ち出したわけである。母のことを偲んで作りたいと言うのならば、母も本望だと思うので私は強く反対はできない。好きにやればいい。私は共同供養墓に母のプレートが残るので、それをよすがに年に数回、墓参りに行くだけのことである。

しかし、相続財産を全額それに使われるというのならば、それは全力で反対する。なぜなら、私の最善策は共同供養墓という形で解決しており、長野に墓を作るのは兄夫婦の道楽もしくは自己満足に過ぎないからだ。消極的に認めるけれども、積極的に協力する気にはなれない。折角、姪っ子のために私の相続分も渡そうかなと思っていたが、私が解決させた筈の墓問題を再び蒸し返す行為に私が協力する理由はない。父は父で事あるごとに骨を熊本に持ち帰りたい旨の発言をしており、兄の提案を受け入れる可能性は小さい。

ここで相続問題に立ち返る。冒頭で申し上げたとおり、私は金をめぐる相続争いほど醜いものはないと思っていたが、実は単なるカネではない、墓問題や教育問題など、家族間での政治的な立場を巡る争いが相続にはあるという事に気付かされたのである。

どちらも、死生観や宗教観、人生観、子育て論……様々な価値観の隔たりが財産の使いみちを巡って生じ、価値観であればこそ歩み寄りも難しく、場合によってはお家断絶のような争いに発展するのだろう。

 

④私の死生観は「千の風になって」

 

私自身は自らのエンディングノートに散骨を希望し後世の人々に一切の負担をさせない様に手配している。母の心境も私と近いものがあり、墓は単に遺された者が自己満足のために設置する親切の押し売り道具だと思っている。心に故人を浮かべ対話する行為に決まった時間や場所なんて必要ない。墓前に手を合わせるのは、自他に故人を偲んだとアピールしたいだけの決めポーズに過ぎない。

私が考える墓問題は究極的には銘板以外の大きな墓は要らないという考え方に行き着く。何某かの宗教に帰依する人には受け入れ難い死生観かもしれない。だから、自身の考え方を誰かに押し付けるつもりはない。同様にそれぞれが譲れない死生観を持って日々を生きている。したがって、我が家の墓問題で誰もが満足する解決策は存在しない。時の権力者、若しくは皆が妥協できる着地点を模索する他はない。

小さな家族レベルの単位でこんな違いが出る。国レベルの政治が如何に大変な事か。多くの有権者が先ず最初に自覚すべきは、どんな政策課題でも誰もが納得できる正解なんて存在しないという本質を理解することである。現政権の揚げ足取りばかりしたり、副作用ばかり強調したりするバランス感覚のない人間がこの社会では圧倒的多数派となっている。

自分には国会議員はおろか、どこかの首長も地方議員も務められそうにない。たった1つの相続問題ひいては墓問題も解決できず、家族員すらも辞めたくなるのだから。政治家や議員失格ではない。人間失格のレベルである。