contribution寄稿・コラム

【書評】 Hanada12月号『三島由紀夫の「天皇論」再考』 三浦小太郎著     永井由紀子

三浦氏の論文が読みやすいのは、美辞麗句を用いず、ことさら難解な言い回しや独りよがりな論を使わずに普通の人が読める文章であるからだ。
逃げ場を作るあいまいさもないゆえに、氏の論考、評論、投稿に目を通すようにしている。

ここ数年顕著になってきた「皇室を一般化に」。
皇室は単なるセレブの代表、英国と同じようにキングという立場にしようと必死のメディア。「雅子さま、紀子さまの今週のファッション」だの「秋篠宮家の家庭内断絶」だのを見る都度、激怒を禁じえない日々が続いている。
何故こうなってしまったのか?
何故こんなに皇室を一般化したいのか?
何故、なぜ、何故?という疑問を「戦後教育」や「GHQ」のせいだと思いこもうとしていたが、それでも長年モヤモヤした何かが小骨のように引っかかっていた。

三浦氏の『三島由紀夫の天皇論』は、まさにその小骨を取り除いてくれた評論だと思う。
まず三島本人が語った言葉を三浦氏独特の鋭い感性と知性で選び、その言葉を使いながら三島の想いを伝えている。
さらに何故三島があのような衝撃的な最期を遂げたのかを理解させた上で、現在の天皇の在り方を既に三島が理解し予言していたこと、それらに対して三島が抱いていたであろう激しい絶望と怒り、失望が読者にも伝わってくる。
現在の「人間らしく、人間として」という美辞麗句で済ませてはならない天皇という存在を、今将に明確にすべきだと三浦氏は述べている。
天皇の無力化がすすめられてきた現在、日本に未来は開けない。
天皇を「文化概念」として失えば、それは即日本の衰退へと結びつくのだと私も確信する。
「人間天皇」を作り上げた元凶として、ずばりと小泉信三氏を指名しているのも三浦氏ならではの断定だと信じる。
御代代わりになった令和時代をどう乗り越えるかは、ひたすら「天皇の無力化」を止めることでもあると思う。
改めて、天皇制、三島由紀夫、日本、それらのことを考えたい。