contribution寄稿・コラム

「歴史の教訓・・・馬鹿な大将敵より怖い」 西村眞悟

 この度の、東日本に対する台風十九号の襲来に関して、些細なことに見えるが、断じて看過してはならない戦後特有の官庁責任者のマインドに巣くう致命的欠陥を指摘しておく。その欠陥は、十月十三日、午前七時、神奈川県北西端の山北町で次の通り顕在化した。

 十二日深夜、山北町は台風と豪雨のなかで断水した。よって、町は、西の静岡県御殿場に駐屯する陸上自衛隊駒門駐屯地に、断水のため、明日、十三日、給水車を要請するかもしれないと架電した。自衛隊は、十三日午前四時に町に連絡し、六時に給水車を出発させるので、町から神奈川県知事に自衛隊出動要請をしてくれと伝え、予定通り給水車三台を出発させた。午前七時、給水車は山北町に到着した。しかし、午前四時から給水車が到着した午前七時を過ぎても、町から自衛隊出動要請を受けた県の職員(無責任者)は頑としてそれを拒絶し、県知事の要請無き自衛隊出動は受け入れられないと主張し、自衛隊は、断水で水が必要な町民に水を配ることなく駐屯地に引き上げることになった。

 では、この事態の何が看過できないのか。それは、断水した山北町からの切実な自衛隊出動要請を頑として拒絶し、断水の町に到着した自衛隊給水車からの町民への水の配給を阻止して駐屯地に帰還させた神奈川県職員の牢固とした意識、これが看過できない。何故なら、この意識こそ、戦後の我が国に宿痾の如く蔓延し、この意識に染まった総理大臣の下で、多くの救助できた被災者をむざむざ死に至らしめた元凶であるからだ。

 毎年、三月十一日が迫れば、マスコミは東日本大震災の特集をする。しかし、特集されるのは、被災者の悲しみや、悲しみから立ち直る報告だけであり、肝心の人命救出において、自衛隊が如何に救出活動に邁進し、如何なる成果を挙げたのかのという国民の生死に関わる綿密な検証はない。従って、自衛隊は、如何に運用されるべきか、その運用原理としてのシビリアン・コントロールの本質は何か、それは如何なる局面における運用原理なのか理解されない。それ故、この度の山北町が直面した神奈川県庁無責任職員のように、住民の生死も安全も眼中になく、ただ自衛隊を抑制することこそ正義であるという思い込みが、未だしつこく蔓延している。そして、この人的要因による惨害を、マスコミは検証しない。

よって、この意識に取り憑かれた内閣総理大臣の下で、どれだけ助かるべき人が亡くなっていったのか、不作為の殺人に近い阪神淡路大震災(平成七年一月十七日、以下、7年地震という)と東日本大震災(同二十三年三月十一日、以下23年地震という)を検証する。

○7年地震における全生存者救出数5047人、救出組織内訳、警察3495人、消防1387人、自衛隊165人(全救出者の3%)。

○23年地震における全生存者救出数27649人、救出組織内訳、警察3749人、消防4614人、自衛隊19286人(全救出者の70%)。

この両地震において明白なのは、全生存者救出数における自衛隊の顕著な差だ。7年地震の時に自衛隊は全体の3%しか救出できなかったが、23年地震においては全体の70%を救出するという圧倒的な役割を果たした。この差は、一にかかって発災に際し、自衛隊の初動が遅れたか遅れなかったかによって生じた。7年地震では自衛隊は遅れた。23年地震では遅れなかった。では、何故、7年地震では遅れたのか。その理由は、総理大臣が自衛隊は違憲だと言って生きてきた村山富市だったからだ。彼は自分が自衛隊を出動させる立場にあることを理解せず、財界人との朝食会を続けていた。この村山富市によって、直ちに自衛隊が出動していたら助かった多くの人々が、放置され亡くなっていった。昔から「馬鹿な大将、敵より怖い」と言われている。この通りだったのだ。馬鹿を総理大臣にしては命がなくなる。これが切実な教訓である。ところが、呪われたように、この村山富市と同類の菅直人が総理大臣であった時に23年地震が襲来した。しかし、自衛隊は遅れなかった。その理由は、7年地震の時の無念さが身にしみていた火箱芳文陸幕長が、前の切実な教訓を生かして、発災後直ちに独断専行して自衛隊の出動を決断したからだ。これが多くの国民の命を救った。また、被災地にある多賀城第二十二連隊においては、訓練から帰隊中に地震に遭遇した連隊長が、隊員の家族も被災しているなかで、直ちに全連隊九百名の隊員を救出救命活動に邁進させている。連隊長は、被災後七十二時間が被災者の生死を分ける故にこの決定をした。そして、この被災地のまっただ中の多賀城二十二連隊連隊長と隊員は、県知事の出動要請がなくとも、直ちに目の前の人々を救うことに没頭し、連隊九百名で、十万七千名の全出動自衛官が救出した1万9286人の四分の一に当たる4775名を救出した。

 このことを確認した上で、戦後の我が国に蔓延するシビリアン・コントロールの誤った観念を指摘する。戦後の我が国では、シビリアン・コントロールとは、防衛省の事務方が制服を着た自衛官の上位にあって彼ら制服組をコントロールすることだとしてきた。しかし、違う。シビリアン・コントロールとは、戦争をするかしないかは、国民に対して最高の政治的責任を負っている大統領か内閣総理大臣が決定するということだ。つまり、連隊長や艦隊司令官が、勝手に戦争を始めるなということだ。従って、戦争ではなく地震、津波、台風、大火災において、連隊長が、23年地震の多賀城の連隊のように、直ちに国民救出を命じることは何ら問題はない。事実、このようにして多くの国民の命が救われている。我が国の政界もマスコミも、現実の7年地震と23年地震から、もっと教訓を学ぶべきだ。もちろん、県知事の要請によって自衛隊が出動するのもいいが、馬鹿な知事の意向を待っていたら村山富市を待っていたと同じように国民が亡くなるのだから、出動するかしないかは、連隊長が決めるべきだ。従って、災害緊急時において、連隊長は、県知事の指揮下にはないということを明確にしておくべきだ。

この観点から、この度の台風19号への対応を点検すれば、まだまだ、安倍内閣やマスコミも、23年地震の教訓を見ずに、旧来のシビリアン・コントロールの概念の枠内にいる。そもそも、あれだけの豪雨のかなで、十三日の夜が明けて見えるようになったから、千曲川の堤防が決壊しているのが分かり孤立した民家に救助を求める人々がいるのが分かったとは何事か。何の為に、自衛隊は、暗視装置や照明弾をもち、何の為に、夜間訓練を続けているのか。こういうときこそ、我が国家が有する能力の総合的な運用をすべきだ。最後に、この度の被害地において、高校生や中学生が泥の入った自分たちの校舎を磨き、数名のグループになって被災家屋を廻って清掃をしている映像を見た。皆、被災しているのに明るい生き生きした顔をしている。ここに国家的課題としての教育再生の鍵があると感じた。