shohyo「書評」

書評「黒南風の海」伊東潤著(PHP) 三浦小太郎

 
私はNHKの大河ドラマで、いつかはぜひ加藤清正を取り上げてほしいと思っている。清正は単に勇猛な戦国武将というだけではなく、ある種の啓蒙君主というべき傑物でもあった。彼の熊本城建設と、その後の大規模な治水工事は、自然を人間生活のために再構築し、同時に環境を破壊することなくより高度な管理を目指すという、原題においても有効な視点をこの武将が持っていたことを示している。熊本地震で被害にあった県民を励ますためにも、そろそろ清正の人生をNHKはドラマ化していただけないだろうか。
 
私の推測では、この人気があるはずの武将をNHKが取り上げない理由の一つには、明らかに豊臣秀吉晩年の愚行とされる文禄・慶長の役、つまり朝鮮半島への遠征と、そこでの清正の奮闘をどう描くかを「戦後史観」ではなかなか難しいことにもあると思っている。秀吉の朝鮮遠征の原因については今でも諸説様々であり、私にも私なりの見解があるがこの稿では触れない。ただし、朝鮮における加藤清正の戦いをテーマとした小説の中で、最も面白いものの一つが、今回紹介する「黒南風の海」であり、歴史小説や加藤清正に興味のある方にはぜひご一読をお勧めしたい。
 
この小説の主人公は、沙也加と呼ばれた武将である。彼は文禄の役の際、加藤清正の配下として朝鮮にわたり、その後投降して朝鮮軍に加わって日本と戦ったとされる武将だが、彼は本名もわからず、伝承ばかりで実態は謎のままだ。伊藤潤は、彼を鉄砲うちの名手として設定し、本書の冒頭で朝鮮半島を目前とした会場での清正の姿と共に紹介する。
 
先陣として朝鮮に上陸した小西行長軍が、兵士のみならず、民衆をも虐殺し、その遺体が海に流れているのを見た清正は武将たちにこう語る。
 
「敵を恐れるものは味方でないものすべ絵を殺し尽くす。それは、心に怯えがあるからだ。怯えを無くせば、慈悲の心が生まれる。われらは義の旗を掲げ、慈悲の心により、この国の民を支配者から救う。弥九郎(行長)の進む先には、民の怨嗟の声が渦巻くが、われらの進む先には、歓喜の声が満ちるはずだ。」
 
作者は、小西行長の虐殺の遠因を、彼がキリシタン大名であり「異教徒」への虐殺をむしろ神の意志として正当化する発想を持っていたこと、同時に、最初の戦闘で日本軍の圧倒的な戦力を示し、かつ、民衆に恐怖を与えることによって、今後の戦争を有利に運ぼうとしたことを示唆する。そして、敬虔な仏教徒であり、朝鮮民衆の解放者たらんとしている清正像を逆に浮かび上がらせてゆく。
 
実際に、清正軍は現地の朝鮮人協力者(朝鮮側からは裏切り者として「附逆」と呼ばれたが)を得て、日本軍に恭順の意を示す農民には善政を施そうとした。春に種もみを貸し付け、秋の収穫時に利子をつけて回収する制度を導入、奴隷状態だった朝鮮農民は勇んで工作に励み、朝鮮半島南部では一定の成果を上げていた。(釜山では、日本の風俗をまねた『お歯黒』『剃髪』まで現れた)。
 
しかし、長期化する戦争の中、次第に現地調達の必要性から来る民衆への収奪は避けられなくなる。それに対する朝鮮民衆の抵抗、明軍の参戦、慣れぬ朝鮮半島の極寒の冬などに悩まされ、さらには小西行長との対立、定まらぬ戦争方針の中、加藤清正自身、朝鮮遠征の前途に疑問を抱き始めていく。
 
そして、戦場で様々な運命の中、朝鮮軍に捕らわれた日本兵の中にも、なんとかこの戦争を終わらせること、たとえそれができなくても、できるだけ犠牲を少なくしようと、あえて自軍を裏切る立場になることを恐れず努力する人々が現れる。「沙也加」はそのような日本の武将として描かれ、同時に、当初は朝鮮の王子を守って日本軍にとらえられた朝鮮人官吏、金宦も、逆に清正に協力するようになる。彼と清正との対話は、この小説における一つのクライマックスをなす美しい一場面である。
 
清正「無辜の民を殺すことは、わが本意ではない。この国の民がわしに従うなら、わしは一人たりとも殺したくない。金宦よ、わしは遠からず北上を開始せねばならぬ。しかし、幸福を望むものには危害を加えぬつもりだ。おぬしがわが軍の先に立ち、降伏を促せば、必ずや、どの都も宿駅にも、無血で入場が図れるはずだ。おぬしに、まことの附逆(日本軍への協力者)になってもらいたいのだ」
「おぬしの辛い気持ちはわかる。幾つもの偶然が重なり、こうした仕儀に相成ったのも同情する。しかしこの役をおぬしが拒めば、わしは敵と戦わねばならぬ。さすれば、また多くの民が命を失う。」
金宦「お供させていただきます。」
清正「それは本心から申しておるのか。附逆となれば、この戦が終わっても、この地に留まることはかなわぬ。それでもよいのか。」
金宦「たとえ永劫に汚名を着ようが、今、目の前で苦しむ民を救う事こそ、わが本意でございます。」
清正「そうか。後世、どのように語られようが、おのれの信じる道を行くものこそ真の勇者だ。金宦、おぬしこそ男の中の男だ。」
 
もちろんこれは小説であり、史実とは離れた著者の想像力のたまものだ。しかし、日本武士でありながら朝鮮に協力するものも、朝鮮の官吏としての誇りを持ちつつ日本軍に協力するものも、同じく自らの運命を引き受けた「勇者」として描き抜かれた本作は、その両者を温かく受け止める加藤清正の人間像と共に深い感動を呼び起こす。歴史小説としても読みだしたら止まらない面白さを持った作品であり、ぜひご一読をお勧めする。