cc「中朝国境の旅」

連載第24回 競売に出されたもの 野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)

 一年くらいにわたるアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の罵り合いが今年六月一二日をもって一段落した。結果は、期待されたものほどではない、失敗だった、いや大成功だ、など、ネット、メディア、等々で様々な意見があり、分析がなされている。大変不謹慎だが、トランプ大統領にはずいぶん楽しませてもらった。北朝鮮に関わる問題は決して軽いものではないはずだが、彼がバトルをする様子はなんとなくユーモラスでさえあった。金正恩氏からの親書が入ったあのすごく大きい封筒を手に、にっこり笑う大統領をテレビ画面で見て、この先、何かすばらしいことが起こりそうな気がした。
 
 確かに、拉致問題が文書に載っておらず、金正恩の「体制」は認められ、非核化の後の経済援助まで約束され、その経済援助は日本と韓国がすることになっている。米朝首脳会談の直後には、さっそく、米韓合同訓練も中止された。
 
 それでも私は、大統領はよくぞ戦ってくれたと思う。「安倍外交の失敗」と言う意見もあるが、「失敗」の原因は、憲法も改正できず、スパイ防止法も成立できない日本国民にあるのではないか。軍事力をもたない国は、独立する気概の無い国であることを、まだ、日本国民の大多数は気づいていない。
 
 日本はどうすべきか、と討論をするのは大事かもしれないが、拉致問題を「解決」するには、金正恩を消し去り、その一族を捕獲して政治活動ができないようにするしか、手がないと思う。北朝鮮が核を手放すことはない、と発言する研究者達は多い。多分、そうであろう。しかし、北朝鮮にとって、「非核化します」と言うより、拉致被害者を返す作業の方が体制の崩壊に通じると私は直感する。見方を変えると、「体制」を破壊しなければ、拉致被害者は戻らないのだ。
 
 北朝鮮の現体制とは、国民の大多数がひどく貧乏であること、人・物・金の流通が適度にないこと、情報を厳しく統制していること、強制労働、厳格な身分制度、言論・思想の統制、行動統制、粛清、処刑、麻薬・偽札・偽たばこ・武器等、ヤバイものの密輸出、ハッキングや暗殺などの犯罪行為、そして核、などで成り立っている。これらを維持するには、国民に対し、よほど強くタガを締めなくてはならない。
 
 金正恩委員長はシンガポールで、突如市街地に現れ、観衆に手を振り、笑顔で街々を見学していた。遊園地が好きな彼のこと、煌めくネオン、カジノ、人々の嬌声、そのようなものを心ときめかせて受け止めていたのではないだろうか。もし、彼が自国をシンガポールのような国にしようとその作業を始めたら、北朝鮮はその「体制」のタガがゆるみ、崩壊が始まるであろう。タガを締める能力は、三代の首領の中では二代目金正日が一番高く、現三代目は多少落ちる。モンゴルに行った時聞いた話だが、金正日の頃だとモンゴルを訪問する北朝鮮の要人達は、夜でも決して一人で行動せず、絶えず二人以上で行動していたが、金正恩の時代になってからは、夜、彼らは、一人で「自由に」モンゴルの街にくり出て女性のいるところに行く、とのことであった。すでにタガが緩みだしているのである。
 
 そんな状況下、韓国はすでに「赤化」が進んでいる。誰もが承知しているとおり、文在寅大統領自身が北朝鮮のエージェントみたいなものである。北朝鮮に警戒心を持つ人達、社会主義と対抗しようとしている人達、そのような立派な人達を大統領は冷遇している。なんと、あの国家情報院でさえ、このような良識ある人々は追い出され、親北派の人達の集まりになってしまったとのこと。国家諜報員が北朝鮮の保衛部と化しているのだ。加えて、軍部も赤化統一の歯止めにはならなくなってしまったのだそうだ。
 
 朝鮮半島はだから、北朝鮮ではアメリカからの武力攻撃の心配がなくなり、中国からの支持を得たようで、経済封鎖も少し緩み始めた。しかし、幹部や国民のタガが少しずつゆるみ始め、動乱の危機が醸成されている。一方、韓国はまともな国としての矜持を失い、北朝鮮体制に対する警戒感をなくしてしまったのみならず、良識的な人々の職場が奪われ、発言は制限され、どんどん「赤化」(北朝鮮化)してしまっている。
 
 大韓航空機のナッツ・リターン事件は二〇一四年一二月であった。パワハラ事件としてこの事件を起こした大韓航空機社長の長女とその父親はマスコミ等に批判を受け、世間から大いにバッシングされた。今年二〇一九年四月には水かけ姫事件というのもあり、これは次女がパワハラを起こして、同じようにマスコミの好餌となった。さらに、最近では大韓航空機社長の一家が次々と警察の調査対象となっており、マスコミの批判がさらに激しくなっている。国民にも不買運動やボイコット運動が広がっていると聞く。異様な光景である。
 
 しかし、アシアナ航空にはパワハラがないのであろうか。アシアナのパワハラは報道されないが、アシアナ航空は昔からよく事故を起こすことで有名だ。今年の五月にはトルコのイスタンブール・アタテュルク空港でアシアナ機がターキッシュエアラインズ機の尾翼に衝突する事故を起こし、さらに、今年六月、金浦空港で大韓航空機とアシアナ機が接触事故を起こしている。ナッツ・リターン事件は二〇一四年一二月であったが、同じ二〇一四年四月、仁川からサイパンに向かうアシアナ機が福岡上空付近でエンジンの警告ランプが点灯していたが、目的地まで飛行した。二〇一五年四月、広島空港でアシアナ機が着陸時に滑走路を逸脱し、二七人が負傷、等々、アシアナ航空の飛行機はすごく危ないのだ。
 
 大韓航空のナッツや水かけより、アシアナの事故の方が批判されて当然なのに、なぜ、ボイコット運動やバッシングが起きないのか。アシアナ航空は危ないだけでなく、不親切でもある。私は二〇〇七年に初めて中国に行った。仁川空港を経由し延吉空港に降りたのだが、三泊四日の行程を終えて、帰路、延吉空港で足止めをくらった。チケットに書いてある便には乗れないと、延吉空港のお姉さんに言われたのだ。ほかにも大勢、飛行機に乗れない韓国人たちがいた。二日後、日本に帰って旅行会社に問い合わせたところ、往路立ち寄った仁川空港で、アシアナ航空のお姉さんが私達夫婦のチケットの手続きをミスした、というのだ。アシアナ航空からの謝罪はなかったが、日本の旅行会社からの謝罪はあった。もちろん、日本の旅行会社のせいではない。金銭的補償も、日本の旅行会社がしてくれた。アシアナ航空はパワハラどころか、顧客をないがし、騙して金儲けをする会社である。
 
 大韓航空のパワハラ事件よりアシアナ航空の衝突事故や不祥事のほうが乗客にとっては困った問題なのだが、韓国のメディアはアシアナ航空をあまり責めない。国民からは「大韓航空」の「大韓」は大いなる韓国という意味で、この会社にはふさわしくない、名前を変えるべきである、という論調もあると聞いた。
 それはなぜか。どうも、両航空会社の出生地に関係あるらしい。大韓航空は設立当初、慶尚道出身の朴正熙大統領が応援し、社長も慶尚道出身者であった。一九六五年の日韓条約で日本が拠出した八億ドルの戦後賠償金の恩恵を受けた企業の一つである。
 
 アシアナ航空は比較的新しい会社であり、全羅道出身の社長のもとに設立された。全羅道はチャパ(左派)の温床であり、アシアナ航空は韓国メディアから優遇されている。反対に慶尚道出身者はウパ(右派)が多いとされる。現在、右派の朴正熙、朴槿恵両大統領は極悪人とされ、どれだけ叩いても良い、ということになっている。だから、大韓航空叩きは左派の運動の一環であり、文大統領の意思でもある、という見方が、韓国の良識派の間にある。文大統領は大韓航空機を潰してしまえ、という明確な意思を持っているのだ。
 
 日本は拉致問題について、国民が納得しないかぎり、北朝鮮に援助することはない(であろう)。中国は北朝鮮を、あわよくば朝鮮半島全部を併呑、あるいは属国化することをもくろみ、さらに日本海、南シナ海を手中に収める作業をすすめている。そこに、ロシアも虎視眈々と日本と朝鮮半島をねらっている。
 
 私は、金正恩委員長は、五年先か五十年先かは分からないが、いつかは逃げなければならない運命なのではないか、と考える。体制のタガがゆるみ、国民の不満が醸成され、北朝鮮内で内紛が勃発し、そこに中国が甘い言葉で「こちらへおいで」と誘う。委員長が中国へ逃げると、中国は逃げてきた金委員長を捕えて殺す、こんなシナリオが頭に浮かぶのである。中国は金委員長がアメリカ大統領と握手したことを許さないのではないだろうか。
 

 
写真1
韓国内でごく最近競売に出された箱の写真を写したもの。韓国の警察は韓国民が北朝鮮からの不審ビラを拾ったらこのような箱に入れるよう、全国に設置していた。競売では出所を厳しくチェックするから、政府が公認でこれらの箱が売りに出されているのだ。韓国の北朝鮮に対する警戒心が溶解している証拠である。ただ、日本の公務員の感覚だと、警察や役所など、公の機関の備品が市場の競売にかけられるなど、あり得ない。日本では不用になった備品は手続きを経て廃棄されるが、売ったり、譲渡したりできないことになっている。
 
写真2と3
朝鮮戦争時、韓国が北朝鮮にまいたビラ。写真3に載っている兵士は北朝鮮から韓国に投降した者。笑顔で載っている。北朝鮮に行った人々に帰ってくるように呼びかけているビラである。
写真2に並べられた名前には、粛清された人達の名前が並んでいる。最初に挙げられている名前は「朴憲永」。北朝鮮の外務大臣であった。金日成に信頼され協力者として手腕をふるっていたが、まもなく、アメリカのスパイであるという言いがかりをもって粛清された。彼は朝鮮労働党の幹部として活動していた。いわば、労働党の保守本流である。しかし、金日成はロシアや中国から来た共産主義者。共産主義の独裁国家で行われる粛清劇の走りであった。また、朴憲永の半生は、日本の松本清張の小説「北の詩人」の主人公のモデルとなった。なお、このビラは歴史的な価値を持つ資料である。もちろん、夫宮塚利雄(宮塚コリア研究所代表)のコレクションである。