contribution寄稿・コラム

「増えすぎたり、少なすぎたり、宮家の盛衰と先人の苦労」   村田春樹

「増えすぎたり、少なすぎたり、宮家の盛衰と先人の苦労」
 
村田春樹

 
平成28年8月8日の陛下のビデオ放映、譲位のおことばに関して、同年10月号から先月号まで18回にわたり述べてきた。もう決まったことなのでとやかく言っても詮ないので、話題を元に戻したい。平成28年10月号11月号は皇位継承の歴史について「多すぎたり少なすぎたり、苦慮してきた先人たち。」と題して述べてきた。その続きを今月号より再開したい。先ずこの二ヶ月分を大急ぎで振り返ってみよう。
 
増えすぎて困った古代平安時代には皇族が増加しすぎて、国家財政を圧迫するようになり、姓を賜って(賜姓)臣籍に降下するようになった。敏達天皇の五世(六世?)子孫の葛城王が天平勝宝二年(七五〇年)に、橘姓を賜って臣下となり、橘諸兄を名乗ったのをその嚆矢とする。桓武天皇の孫高望王が平姓を賜って平高望となった。桓武平氏の始祖である。その後、清和天皇の孫経基王が源姓を賜って清和源氏の始祖となるなど、続々と臣籍に降下していったのである。

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