scurity「セキュリティこそわが原点」

「セキュリティこそ我が原点」⑧ パトロールでは、前蹴りだ!(テイクダウンでなくノックダウン編)   地域セキュリティアドバイザー 栗林寿行

「セキュリティこそ我が原点」⑧
パトロールでは、前蹴りだ!(テイクダウンでなくノックダウン編)
 
地域セキュリティアドバイザー
栗林寿行
 

2月と言えば、1979.2.13 GAが地下鉄パトロールを開始した記念すべき月だ。
同時に、私の崇拝する空手の大山茂最高師範の命日でもある。
 
私は、漫画「空手バカ一代」世代だ。
極真空手に夢を持っていた。
子供時代の夢は、極真空手の世界最高師範(当時の肩書き、後にUS大山空手総主となる)大山茂師範の率いるNYアメリカ本部で稽古をする事だった。
 
短期間であったが、GAのNY研修でその夢は叶った。
今回は、命日の2月に合わせて偉大な空手家 大山茂総主の想い出を自分なりの体験で語りたい。
 
時は、二代目東京支部支部長NY研修時代の話しである。
 
NY研修は、本部に寝泊まりして活動をびっしり学ぶ制度である。
と言うと聞こえは良いが、要は日常活動を繰り返し行うだけの事である。
過去に日本人で本格的に専従スタッフとしてNYの活動をした日本人は、私の記憶では、私を含め5人程度しかいないと思う。
基本毎晩パトロールだが、昼は、学校などに赴いて、安全セミナーの手伝いや、リクルート活動をしていた。
 
カーティス(GA創設者)に、せっかくNYに来たのだから、空手道場に通わせて下さい。と直談判をしたらカーティスは、行けと許可を出してくれた。(今、考えるとかなり強引な直談判だった。)
その足で、パトロールがてらUS大山空手の本部道場に行った。
道場はでかいマーケットの二階にあった。
緊張しながら、ドアを開けると、タイミング良く大山茂師範が立っていた。
子供の頃からの憧れの人が目の前にいた。
 
大山総主も、赤いベレー帽が三人いきなり入って来たので、驚いていた。
大山総主は、色々話しをかけて下さり、英語が出来なくてもここでは日本語だけで大丈夫だ。と安心させてくれた。
メンバーの一人が、飾ってある技術書を手に取り写真と話している人が同じと気づき凄い!凄い!と騒ぎ出した。
大山総主は、それで、気を良くしたのかいささか興奮して身振り手振りを交えて熱く私に英語で語り出した。
英語が全くわからない私は、ただその迫力に圧倒されるしかなかった。
 
私が、ぽかーんとした表情をしていたのか、やがて「あ、お前は、英語わからないんだよな。」と、真顔に戻り、ガハハと笑いながら、私の肩を叩いて「ま、稽古頑張れよ。」と行って、何処かに消えてしまった。
流石、豪快な先生だと思った。
その場で入門手続きをして正式に入門をした。
 
極真空手をアメリカに広める為に、拳一つで巨漢の連中を命懸けで倒し続けた大山茂師範は伝説の空手家だ。
同時に笑顔が素敵で強くて優しい人と言うイメージであった。
 
私は、GAの研修でNYに来たので毎日稽古と言う訳には行かなかったが、週ニ、三回通わせて頂いた。
内弟子稽古に出させて頂いた時に、スパーリングで、パンチと下段を出していたら、「お前は、試合の為に、稽古してるんじゃないだろう!実戦だ!実戦。前蹴りの稽古をもっとやれ!前蹴り出せ。」とアドバイスを貰った。
稽古が終わってロビーに総主がいる時は積極的に話しをかけた。
総主は、嫌な顔をせずに、過去の出来事を色々話してくれた。
総主の生き様は生きているのが不思議な位危険でエキサイティングな人生であった。
 
アメリカと言う人種差別の国で、アジア人が生き抜くのは本当に大変な事だったと思う。
対峙した相手は完璧なまでに叩きのめしたと言う。
試合ではない、負けたら全て終わり。
私の様な凡人には全く想像もつかない厳しい世界で生き抜いた人だ。
言葉や、アドバイスに重みがあった。
特に、我々は、武器は一切持てない。
どんな状況でも、素手で対応しなければならないのだ。
だからこそ、アドバイスは貴重だ。
大山総主は、私の立場を理解してくださっていたのでひたすら嬉しかった。
 
正式に言うと、大山茂総主の前蹴りだ!は、ある意味、我々のパトロールでは活用出来ないのも事実である。
犯罪者(ほとんどが、ドラッグ関係)を見つけ叩きのめすではなく、トークで説得して、その場でやめさせる、もしくは、立ち退かせる。
所持しているドラッグを押収する際に抵抗をした場合には、テイクダウンと言って、相手に飛び付き地面に叩き伏せてドラッグを押収してその場から追い出す。
それが我々の通常の流れであり、テイクダウンであってノックダウンという手荒い手段ではない。
 
ところが、私が犯罪者をテイクダウンでなくノックダウンする日は直ぐに来た。
 
夕暮れ時、私は本部で夜のパトロール前にくつろいでいた。
窓から8番街の風景を見ながら、安い99¢のコーヒーを飲むのが最高のリラックスタイム。
ここは、NYマンハッタンのど真ん中、
喧騒が心地よいリズムだ。
そんな憩いのひと時を無線がしっかり奪ってくれた。
無線から聞こえる状況に本部にいたメンバーも慌てている。
英語がわからない私でも、緊急事態とは飲み込めた。
おそらく、強盗かひったくり事件の様だった。
 
早速、数人のメンバーが選ばれて、現場に向かう。
もちろん、私もメンバーにいた。
英語が解らない私をわざわざ選んだのは、いざという時には、暴れて構わないと言う事だ!
と自分勝手な解釈をして、メンバーと八番街を走る!走る!夕暮れのマンハッタンは、人混みも車の渋滞も凄い。
アベニューからストリートに入ると向こうから、黒人が走って来た。
後ろから、メンバーがその黒人を追いかけている。
歩道や渋滞の車をぬって車道とジグザグに必死に逃げてこちらに向かって来る。
間違いない!こいつが犯人だ!
幸い犯人は、私には気がついていない様子で、私は物陰に隠れて男が来るのを待っていた。
至近距離に来た時に、車道に飛び出した。
犯人の黒人は、目ん玉をひん剥いて驚いた顔をしていた。
話し合いをしている暇はない!
(犯罪者対応は何があるか解らない状態である。理想で物事は解決しない部分もある。このあたりの話はまたいつか取り上げたいと思う。)
 
無意識に右の前蹴りをボディーに出していた。
つま先が腹に食い込む感触を感じた。
黒人は、モロに後ろに吹っ飛び腹を押さえて七転八倒していた。
あまりに苦しがるのでやり過ぎたかなと心配したのも事実だ。
通行人や、渋滞に巻き込まれた運転手達は、まるで、映画の様なシーンに驚き沢山の人々の注目を浴びた。
中には、私に向かって笑顔で手を振る人もいた。
私も思わず笑顔で手を振る。
GAが犯罪者を捕まえた。と思ってくれたのだろう。
この一瞬、私は、マンハッタンの一部のエリアでヒーローになった。
他のメンバーも駆けつけ、私が犯罪者をノックダウンした事に喜んでハイタッチの連続であった。
やがて、パトカーが到着して、黒人は、警察に連行されて行き一件落着。
 
(くれぐれも、お断りしておくが、これは、NYだから許される行為。
日本で、同じ事を行ったら大問題だろうし、私も捕まってしまったかも知れない。)
 
翌日私は道場に行き大山総主にこの件を報告した。
大山総主のアドバイス通りに前蹴りで倒したと伝えると。
満面の笑みで「そうか、良くやった!俺は、空手しか知らないけど、空手の事は何でも聞け!良かった。良かった。」とねぎらいの言葉をかけてくれた。
子供の頃からの憧れであった大山総主にこの様な形で暖かい言葉を頂くとは思わなかった。
ひたすら、ひたすら嬉しかった。
 
私の蹴りを喰らい逮捕された犯人も、犯罪は割に合わない行為だったと反省してくれたら良いのだが。
 
まぶたを閉じると今でも鮮明に覚えている光景がある。
「叩いたよ!毎日、毎日が百人組手だった。この拳を毎日、毎日相手の顔面に叩き込んだ。」
拳を振り回し力説をしていた。
大山茂総主の拳は大きかった。
私は、思わず、「総主、拳デカいですね。」と言いながら、無意識に私は、両手でそのデカい拳を握りしめた。
総主は、にっこりしながら、「そうだろ!あんだけ叩けば骨も太くなるんだよな。」と語った。
その時の笑顔が本当に魅力的でチャーミングであった。
 
いつの日か、私もあの世に行く。
大山総主にあの世でお会いする時が来たら怒られない様に前蹴りだけはいつも出せる様にしていたい。
 
押忍!
 
次回は、再び日本に戻り、池袋と六本木にも触れます。
 
私にとって貴重な大山総主との一枚。
 
 
稽古後の一枚。US大山空手NY総本部。デカい道場だった。
内弟子•指導員の方には大変お世話になった。空手は国境を越える素晴らしい日本の武道だ。(そして、今でもFacebookなどのSNSを通じて交流が出来るのは良い時代だ。)