kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

日本への回帰 万世一系の天皇10   展転社編集長 荒岩宏奨

日本への回帰
万世一系の天皇10
 
展転社編集長 荒岩宏奨

 
あまつひつぎ
 
 天皇のことを申し上げるときに「あまつひつぎ」と申し上げることがある。漢字では「天津日嗣」と書くこともあれば、「天津日継」と書くこともある。この「津」は格助詞「の」と同じ用法である。よって「あまつひつぎ」とは天の日を継ぐという意味になる。
 
 「あま」とはここでは皇祖神であらせられる天照大御神のことである。そして「ひ」とは人間の根源のことであり、霊魂や魂と言っていいのではないだろうか。
 
 『古事記』では、最初に現れる神は造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれる三柱の神である。造化三神とは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の三柱である。そして、高御産巣日神と神産巣日神は「むすび」の神であり、この「むすび」の働きによって生命(いのち)が生まれてくるのだ。『古事記』では「むすび」を「産巣日」という漢字で書かれているのだが、『日本書紀』では「産霊」と書かれている。『古事記』の記述は発音を重視しているのに対して、『日本書紀』の記述は漢字の意味も考えて記述されているということもあり、『日本書紀』に書かれている「産霊」の漢字の方が意味はわかりやすい。「むすび」とは霊魂を産むということである。
 
 「あまつひつぎ」の「ひ」とはこの「むすび」の「び」に当たる部分であり、『日本書紀』の記述では「霊」と書かれている箇所であり、それは「霊魂」や「魂」ということでもあろう。そして、この「ひ」が体内にとどまったのが「人(ひと)」であり、その男子が「彦(ひこ)」、女子が「姫(ひめ)」である。
 
 つまり、「あまつひつぎ」とは天照大御神の生命(いのち)の根源を継ぐ、天照大御神の霊魂を継ぐという意味である。昭和二十一年元旦の詔書、つまりいわゆる「人間宣言」のことについて先述したとき、保田與重郎の「天皇は萬葉の昔、いなもつと上古から人間であらせ給うた」という言葉を紹介した。この場合の「人間」とは、ゴッドによって土に命が吹き込まれたヒューマンという西洋の人間観ではない。神からその霊魂を継いで生まれてきた神の子孫だという人間観である。神の霊魂である「ひ」がとどまっているという意味での「ひと」のことである。そして、その中でも一番根元的な霊魂、天照大御神の霊魂を継いでいらっしゃるのが「あまつひつぎ」、すなわち天皇陛下である。そして、その「ひ」を継ぐ行事が皇位継承の諸行事であり、そのなかでも一番重要なのが大嘗祭なのである
 
すめらみこと
 
 また、天皇のことを「すめらみこと」とも申し上げる。先の「あまつひつぎ」と合わせて「あまつひつぎすめらみこと」と申し上げることもある。「あまつひつぎ」も「すめらみこと」も大和言葉であり、「天皇」と称する以前から使用されていた。
 
 「すめら」の意味には様々な説がある。「統(す)べる」という説や「澄(す)む」という説がある。そして神の尊称として使用されている「みこと」は「御言」であり、また漢字の通り「命(いのち)」の意味も持っている。つまり「すめらみこと」とは「言葉を統一する」「澄んだ(清らかな)言葉」とった意味、または「命を統べる」「澄んだ(清らかな)命」という意味を持っていることになる。これこそが天皇のご本質である。
 
 そして、実際に我々は天皇陛下のおことばを拝することにより、ときには大きな励みとなり、ときには大きな癒しとなり、ときには感激の涙を流すということを体験している。東日本大震災のとき、天皇陛下は異例の「おことば」を渙発あそばされた。この「おことば」により、多くの被災者の励みとなり、癒しとなった。また、天長節や正月の一般参賀でも、天皇陛下からおことばを賜る。このときの感激を体験している人も少なくないだろう。
 
 『万葉集』で山上憶良が「神代より言ひ伝(つ)て来らくそらみつ倭(やまと)のくには皇神(すめがみ)の厳(いつく)しき国言霊の幸はふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり……」という和歌を詠んでいる通り、わが国は言霊の幸わう国である。それはまさに、わが国は「すめらみこと」のしろしめす国だからである。
(原文は歴史的仮名遣)