gosei「天皇御製に学ぶ」

天皇御製に学ぶ 第十八回 四宮正貴

天皇御製に学ぶ 第十八回

四宮正貴

 
持統天皇御製
 
天皇、志斐嫗に賜へる御歌一首
 
いなと言へど強ふる志斐のが強語このごろ聞かずて朕戀ひにけり                  (二三六) 
 
志斐嫗は、傳未詳。持統天皇に仕へた老女の語り部あるいは女官であらう。語り部とは、天皇に物語をお聞かせする役目の人。天武天皇に、「楊の花」を「こぶしの花」だと言って献上し、群臣が「楊の花」だと言っても、強情に「楊の花だ」と言って聞き入れなかった「阿部志斐連名代」といふ人物の一族かといふ説がある。この人物は、他人に自分の説を強いるので、「シヒ」(強引)の名をもらったといふ。
通釈「嫌だと言ふのに、強ひる志斐の老女の強ひて聞かせる物語、この頃聞かないので恋しくなったなあ」。
 
「シ」といふ音を三回繰り返し、弾んだ心地良い調べになって。即興的で機智に富んだ御歌。昔話を語り聞かせる老女が久しぶりに参内した時、天皇が嬉しく思はれて即興的に詠まれた。
 
この御歌の中心は、「朕戀ひにけり」である。長年仕ヘてきとた思はれる老語り部に対する持統天皇の慈愛の御心が表れてゐる。
 
「強語(しひがたり)」が具体的にどのやうなものであったかは明確ではない。今日の落語・講談の原型ではないかといふ。無理矢理聞かせる話といふ意味と共に、こじつけ話・とんち話といふ意味もあらう。豊臣秀吉に御伽衆として仕へユーモラスな頓知で人を笑はせた曽呂利新左衛門と似てゐるのかもしれない。
 
「強語」は、宮廷の仕へる女性が創作した平安時代の女房文學の出現を予想させるといふ説もある。天皇は、いはゆる帝王学の一環として、語り部や采女の物語を聞いて色々な情報や統治者としての教養を身に付けたのである。
 
各地から選抜されて朝廷にご奉仕に来た女性である「采女」は、各地方で伝承されていた物語や歌を、天皇の御前で歌ったり語ったりした。歌は「歌ふ文藝」であり、物語は「語る文藝」である。歌は抒情的であり、叙事的であると言はれる。
物語を語る人を「語り部」と言ひ、歌を歌ふ人を「歌人(うたびと)」と言ふ。
 
志斐嫗、和へ奉れる歌一首
 
いなといへど語れ語れと詔らせこそ志斐いは奏せ強語と言る                  (二三七)
 
志斐嫗が、持統天皇に答へ奉った歌。「言(の)る」は強く言ふこと。「志斐い」のイは強調を表す助詞。
通釈は、「嫌です、語りません、と言っても、陛下が語りなさい語りなさいと仰せになるので、志斐はお話し申し上げるのです。それなのに強ひて聞かせられる物語などと言はれるのはあんまりです」。
 
持統天皇への敬愛の情が溢れてゐる。持統天皇と志斐嫗とはお互ひに親密なる愛情をもって接してをり、この二首は、掛け合ひ漫才のやうな応答歌になってゐる。ある日の女帝と老女官のほほえましい交歓であり心の交流である。「君臣水魚の交はり」といふ言葉通りである。
 
持統天皇は、夫君・天武天皇と共に『壬申の乱』などの苦難を乗り越えて来られたお方であり、さらに女性天皇として激動の時代を強靭に対処されてきたお方であるが、この二首に表れてゐるやうに、とてもおほらかで広い御心の方であったことが分かる。
 
このユーモラスな二首の歌が、「現御神信仰」を高らかに歌ひあげた柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」の歌の次に収められてゐるところに、『萬葉集』の素晴らしさがある。それは『萬葉集』の素晴らしさであるばかりでなく、わが國の國體の素晴らしさである。天皇と臣下の関係は、権力的上下関係、支配被支配関係でなく、あたたかな心と心のむすびの関係であることを示してゐる。
 
天皇が「現御神」であらせられるといふのは、天皇が全知全能にして無謬の絶対神であらせられるといふのではない。この二首の歌を拝しても明らかな如く、天皇は、祭司主として無上に神聖なご資格を持ってをられると共に、人としての生活感覚を持ってをられるのである。天皇は「現御神」即ち「神にして人、人にして神」であられるのである。