gosei「天皇御製に学ぶ」

天皇御製に学ぶ 第十五回 四宮正貴

天皇御製に学ぶ 第十五回
四宮正貴
 

天武天皇御製
 
みよしのの 耳我(みみが)の峯に 時なくぞ 雪はふりける 間(ま)なくぞ 雨はふりける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ來る その山道を
 
 
 第四十代・天武天皇の御製。天武天皇は、天智天皇の弟君であられ、天智天皇が断行された大化改新に協力された。大化改新当時は十五歳くらいの青年皇族であられ、大海人皇子と申し上げた。
 【みよしの】ミは接頭語。【吉野】奈良県吉野郡。ただし『萬葉集』では吉野川流域の吉野町宮滝を中心とした一帯を言ふ。斉明天皇・天武天皇・持統天皇の離宮があったのもこのあたりと言はれる。【耳我の峯】所在不詳。吉野山の金峰山あたり、或いは飛鳥から吉野に至る途中にある峰かとする説あり。【時なくぞ】絶え間なく。【間なくぞ】休みなく。【隈】もののすみ、入り込んだ場所、奥まってものかげになった所。この場合は道の曲がり角のこと。【おちず】欠けることなく・もらすことなく。
 
 通釈は、「み吉野の耳我の峯に絶え間なく雪は降ってゐる。休みなく雨は降ってゐる。その雪がやむ時もないやうに、その雨が絶え間がないやうに、道の曲がり角ごとに思ひに沈みながら来たことだなあ、その山道を」。
 
 「思ひつつぞ來る その山道を」がこの御歌の大事なところである。
天武天皇は、一体何を思ってをられたのであらうか。読む人にずっしりとした重い感覚を持たせる言葉である。
恋人を思って吉野の山を登ってゐると解釈できないことはないが、それにしては歌全体があまりにも暗鬱である。よほど深いもの思ひをしてをられるのである。

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