yukoku「憂国の風」

大楠公を想う 玉川博己


大楠公を想う

 玉川博己

 

 

5月25日は大楠公こと楠木正成の命日に当る。毎年東京でも有志による楠公祭が行われている。楠木正成は延元元年(1336年)5月25日に兵庫湊川の戦いにおいて九州から東上した圧倒的な足利高氏軍を迎え撃ち、勇戦奮闘の末弟正季とともに自害して果てた。このときに弟正季との問答の中で正季が述べたといわれる「七生報国」の言葉は余りに名高い。

足利軍の東上に際して、楠木正成は当時の彼我の大きな戦力差から朝廷を一時比叡山へお遷し奉り、足利軍を京都盆地内に誘導した上でその補給線を遮断し、一気に逆襲に転移して足利軍の包囲殲滅を図るべきであると献策したが、宰相・坊門藤原清忠の大義名分論による反対によって却下され、兵庫への迎撃戦を命じられることとなった。もし正成が自らの一門の安寧と利益のみを図る人物であったのであれば、足利側に寝返るとか、勅命を無視、サボタージュして日和見を決め込むとか、戦国の世なら当たり前であった道をとったかもしれぬが、しかし尊皇絶対、承詔必謹の人であった正成は粛々と湊川の玉砕戦に向かったのである。

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