contribution寄稿・コラム

[読者投稿]ウクライナの侵略の歴史〜現状の問題提起〜 グレンコ アンドリー

[読者投稿]ウクライナの侵略の歴史〜現状の問題提起〜 グレンコ アンドリー

 

「ウクライナの侵略の歴史〜現状の問題提起〜」

 ウクライナは合計330年間ほどロシアに支配されていた。その期間とは弾圧、民族浄化や虐殺の歴史だった。そもそもウクライナがロシアの支配下に入れられたのは西暦17世紀の半ば頃である。当時、ポーランドの支配から開放するために蜂起したウクライナ人はモスクワ王国に援助を頼んだ。その結果、ウクライナとモスクワ王国は併合条約を結んだ。条約の条件とは、ウクライナはモスクワ王に忠誠を誓う代わりに、内政には自治権が保証されるというものだった。しかし、モスクワの支配下に入れられてから、その条件は無視され、ウクライナの自治権が次第に削られ、最終的にロシアの内地と同じ統治の仕方が強いられた。モスクワ王国から出来たロシア帝国の支配は実に過酷なものだった。帝国政府からウクライナ語を禁止する指令は10回以上出されていた。またウクライナを指す名称として、「ウクライナ」もしくは「ルーシ」という本来の名称の代わりに「小ロシア」(malorossiya)という屈辱的な呼び名が与えられた。ウクライナ語を話す権利、若しくはウクライナの自治権を主張していた人は投獄されたり、シベリアや北極海の島へ強制移住させられたりしていた。又、ウクライナ人は大量に強制労働に動員されたり、ロシア帝国が絶え間なく続けていた東西南北への侵略戦争のために兵隊に取られたりしていた。

 1918年にウクライナは一旦独立したが、直ぐにロシア共産党の赤軍に滅ぼされた。その後ウクライナはソ連に組み込まれた。ソ連の支配はロシア帝国の支配より更に過酷なものだった。ウクライナ人の民族アイデンティティを潰すためにスターリンはウクライナ人の大虐殺を起こした。ソ連の当局が農民から全ての食料を没収した。その結果200万人以上の人が餓死してしまった。その他にも、少しでもソ連に不満を持っていたと疑いのある人が大量に殺害された。更に、ウクライナは独ソ戦争の戦場となった。二つの極悪帝国の喧嘩に巻き込まれたウクライナは想像を絶するような損害を受けた。5人に一人が殺された。また、独ソ戦争終結の後、ウクライナの独立の為に戦った民族ゲリラ「ウクライナ蜂起軍」がソ連軍に滅ぼされた。

 ソ連崩壊後、ウクライナは漸く独立出来た。しかし、ロシアによる威嚇や内政干渉が連綿と続いていた。ロシアは常にウクライナの歴史認識、文化政策や外交政策などについて口出しをしていた。気に入らないことがあれば、ロシアはことあるごとに反ウクライナのヒステリーを掻き立てていた。しかし、ウクライナの無能な指導者達は基本的にロシアを恐れて、厚かましい内政干渉に対して意義を唱えることは殆どなかった。また、ロシアは連綿と、ウクライナ国内に活動していた反ウクライナ団体を操っていた。

  2014年3月にロシアはまたウクライナへ侵略した。あれから既に3年近く続いている戦争で1万人以上のウクライナ人が亡くなり、一部の領土が奪われ、ウクライナ経済は大打撃を受けた。しかも、ロシアはそれまで何度も、ウクライナに対して領土主張はないということを認めていたにも関わらず、ウクライナの領土を占領した。日本人の皆さんもご存知の通り、ロシアは最初から約束を破るつもりで約束をする国だ。

 このような蛮行をしているロシアに対して、国際社会は何もしない。ウクライナへの侵略を起こしたロシアに対して、制裁が実行されたが、その効果は非常に限定的だ。本格的な経済封鎖を誰も考えていない。それどころか、現在実行中の生ぬるい制裁をすら解除するべきだという声が頻繁に聞こえる。しかし、このような融和政策をすることによって侵略者は更に調子に乗って、更に大規模な戦争を起こすのだ。凶暴的な侵略国家を抑えるには、強硬措置を実行するしかないのだ。


gurenkoandriishashinグレンコ アンドリー 経歴

1987年 ウクライナ。キエフ生まれ 
2010年9月-2011年8月早稲田大学で語学留学
2011年12月 日本語能力検定試験1級合格
2012年7月 キエフ国立大学日本語専攻卒業 
2013年4月 京都大学へ留学 
2014年4月 京都大学大学院修士課程入学 
2016年3月 京都大学大学院修士課程修了
2016年4月 京都大学大学院博士課程入学 
2016年10月 アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」 懸賞論文学生部門優秀賞授賞