gosei「天皇御製に学ぶ」

天皇御製に学ぶ 第五回 後櫻町天皇御製 四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

後櫻町天皇御製

「まもれなほ 伊勢の内外(うちと)の 宮ばしら 天つ日つぎの 末ながき世を」

 第十七代・後櫻町天皇(ごさくらまちてんのう)は、御在世は、元文五年八月三日(一七四〇年九月二三日)―文化十年閏十一月二日(一八一三年十二月二四日)。御在位は、宝暦十二年七月二七日(一七六二年九月一五日―明和七年四月二八日(一七七〇年五月二三日)である。第百十五代・櫻町天皇第二皇女であらせられる。

 御在位中の明和四年(一七六七)に、「明和事件」が起った。「明和事件」とは、絶対尊皇思想を鼓吹した山崎闇斎の學統を継承した尊皇思想家であり『柳子新論』著者である山縣大弐が、江戸に於いて塾を開き、國體の尊厳・尊皇思想を説き、幕府を批判したため、捕えられ、処刑された事件である。
 この御製は、「神祇」と題して、明和五年(一七六八)、御年二十九歳の時に詠ませられた。「明和事件」の次の年である。
「伊勢に祀られる内宮外宮の神様、お護り下さい。天津日嗣日本天皇が治める末永き日本国を」といふほどの意である。
 「天つ日つぎ」(天津日嗣・天津日繼ぎとも書く)とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」という意味である。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるので、皇位のことを「天津日繼ぎの高御座」と申し上げる。「高御座」とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所という意味である。
 『天壤無窮の神勅』には次のように示されている。
 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」。

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