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<教科書で教えたい近現代史 第6回> もはや制御不能! 屈折した対日感情の韓国

■□まさに天安門の喜劇 朝鮮半島の人々は日本軍人として戦った 

昨年、平成27(1915)年9月3日に北京で行われた抗日戦争勝利記念行事に、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領、プーチン大統領、スーダンのバシル大統領らは軍事パレード観閲式に出席し、習近平主席と天安門で並んだ。

そこには国連事務総長の潘基文(ハン・キブン、韓国出身)も出席した。しかも潘事務総長はICC(国際刑事裁判所)が逮捕を要求しているスーダンのアルバシル大統領とパレードで一緒だった。

ウクライナ問題により、欧州などではロシアに対する不快感が増している。人権問題を重視する人々には、今回の式典はあたかも中露両国を中心とする「非民主主義国家連合」のイベントに映った。

国際刑事裁判所(ICC)は国連の重要な一機構である。逮捕状の出ている人物が公式行事に出席したにもかかわらず、国連の事務総長は中国に「逮捕して欲しい」と言わなかった。

 そもそも韓国が、対日戦勝国というのは、歴史の捏造である。

明治43(1910)年に合併し日本の一地域となった朝鮮は、大日本帝国として連合国と戦った。

 にもかかわらず、初代大統領の李承晩(イ・スンマン、1875~1965年)は戦勝国=連合国入りを主張し、さらに長崎県・対馬や、島根県・竹島、そして九州全体までも韓国編入すら要求した。

しかし英国が、「韓国は日本と戦っていない」「朝鮮の人々は、日本として連合国と戦った」と異を唱えた。

サンフランシスコ講和条約の戦勝国入りは、国際法上も実態上も無理スジであった。米国など連合国は、日本の一地域として朝鮮半島をみなしていたのである。

そもそも日韓併合は、イングランドとスコットランドが、条約により合併し国名を「イングランド」と称したものと同様であり、武力による植民地化とは縁もゆかりもなかったことである。

植民地と言うのは誤りであり、逆に日本本土からの持ち出しが圧倒的に多かった。

 だからこそ、朝鮮の人たちは日本軍将兵として戦った。朝鮮人の軍人・軍属は24万2000人以上。

朝鮮人の高級軍人の目覚ましい武勇に触発され、志願兵の競争率は62倍強にまで沸騰した。

日本軍の将校を養成する陸軍士官学校や陸軍幼年学校は、朝鮮人へも門戸を開放していた。洪 思翊(ホン・サイク)中将に代表されるように、日本人を率いる朝鮮人将校も多数存在した。後に韓国大統領となった朴正熙(パク・チョンヒ、朴槿恵の父)も陸軍士官学校の出身である。

朝鮮半島出身者も2万1000柱の英霊が靖國神社に祭られている。

 イギリスが、李承晩大統領に異をとらえたのは、イギリスに内在するイングランドとスコットランドの問題と二重写しになることを怖れたからとも言われる。

 

■□いわゆる「386世代」が反日的な主張、韓国政権に影響 

昨年は、日韓国交正常化50周年である。

 昭和40(1965)年6月22日に日本(佐藤栄作政権)と大韓民国(朴正煕政権)の両政府の間で署名された日韓基本条約により、日本と韓国との間に国交を樹立した。

この基本条約により、日本は朝鮮に投資した資本および日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することとした。また韓国は、対日請求権を放棄することに合意した。

ちなみに当時の韓国の国家予算は3.5億ドルで、日本の援助はその3倍。ちなみに当時の日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。

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