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<教科書で教えたい近現代史 第3回> そもそも満洲民族の国家であった満洲国 ―満洲はシナではないと『紫禁城の黄昏』が喝破、 ましてや日本の植民地でもなかった―

そもそも満洲民族の国家であった満洲国

満洲はシナではないと『紫禁城の黄昏』が喝破

ましてや日本の植民地でもなかった


■□『紫禁城の黄昏』が証拠採用なれば、極東軍事裁判は全員無罪 

清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の家庭教師であったイギリス人レジナルド・ジョンストンによる『紫禁城(しきんじょう)の黄昏(たそがれ)』という著書は、まさに貴重な歴史の証言である。原著は1934年刊。

ところが極東軍事裁判では、日本を悪者に仕立て上げたい連合軍が、この著作を証拠書類として取り上げることを拒否した。

この本を証拠として採用すると、東京裁判の戦犯は誰もいなくなってしまう。

そのシナで辛亥革命が起こり、1912年に満洲族最後の皇帝溥儀は紫禁城から家庭教師のジョンストンとともに日本公使館に逃れた。

清王朝は満洲民族の王朝であり、決していわゆるシナ人の王朝ではなかった。

そもそも満洲国は、日本が侵略してつくった傀儡国家ではない。

満洲人の正統な皇帝が、「清」を建国した場所に戻って清朝の流れで建国された。

つまり清朝最後の皇帝・溥儀は、日本政府に拉致されて皇帝になったのでなく、自ら望んで日本に助けてもらって皇帝になったと、いうことを認めることになると、極東軍事裁判の日本断罪の論議が根本から崩れる。

ジョンストンは、「満洲はシナではない」、「シナには近代欧米的な意味での国家は、かつて存在したことがなく、いろいろな王朝があっただけである」と指摘している。

 

■□シナの王朝が満洲を実効支配した歴史はない 

 清朝政府の力は急速に衰え、明治45(1912)年2月には清朝皇帝の退位と中華民国の樹立を宣言した。いわゆる辛亥革命である。

満洲人による王朝である清朝政府は、ここから中華民国政府に変わるのである。

大清国がシナ本土のみならず、満洲、蒙古、ウイグル、チベットなどを版図に加えていたのは、満洲人がシナ本土を征服してできた王朝だったからである。

シナ人が満洲人を追放したからといって、それらの地域を中国の版図として主張するのは無理がある。

 秦の始皇帝の時代からみても、シナの王朝が満洲を実効支配した歴史はない。

古代からシナ本土(万里の長城の内側の漢民族の居住地)を支配した王朝はシナ本土に居住していた漢民族によるものだけでなく、周辺の異民族(蛮族)によるものがいくつもあった。

シナ大陸の歴史はさまざまな地域や民族による興亡(争奪)の歴史で、一つの中国という国家(地域)が昔から存在していたわけでない。

明治32(1899)年に「扶清滅洋(ふしんめつよう 清国を助け、西洋を滅ぼす)」を掲げた義和団事件が起こった。これに乗じ西大后は、義和団の排外運動への支持を表明、清国軍を派遣して列強に宣戦布告した。(北清事変)

その西太后の支援で「義和団」が、首都・北京に入城すると、北京の治安は急速に悪化し、社会は混乱に陥った。

欧米諸国や日本などの外国人(列強諸国の居留民)排斥を唱えて、列強公使館に進軍したことから、5月31日、居留民保護と治安回復を目的に、英・仏・米・露・独・伊・墺(オーストリア)・日本からなる8ヶ国連合国軍が北京に出兵した。

義和団と清国兵は、北京の各国公使館や天津の租界地を攻撃したが反撃され駆逐され、連合軍が北京に入城し、紫禁城を制圧した。

日本軍は8ヶ国連合軍の一員として進駐したのであり、そもそも「侵略」を意図したものではなかった。

その結果、北京議定書が結ばれ、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされ、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、日本の5カ国は、治安が悪く無秩序状態の支那に駐屯軍を置き、シナ在留の外国人の保護にあたることとなった。

 

■□義和団事件に乗じて全満洲を占領したロシア 

 北京議定書が結ばれ各国が撤退したにもかかわらず、ロシアは撤兵しなかった。それどころかロシア帝国は、明治36(1903)年に義和団事件に乗じて全満洲を占領した。

つまり満洲は清朝の時代に、事実上ロシア領になっていたのである。

ロシアは満洲に兵を送り、全満洲を実質的に占領し、日露戦争間近の時期には、清朝の官吏が満洲に入るにもロシアの役人の許可が必要であったという。

さらにロシアは南下して李氏朝鮮に朝鮮半島に進軍し、軍港を建設し始めた。

ロシア軍が、元寇のように朝鮮兵を使って日本を攻撃することが予想される中、緊張が高まり勃発したのが日露戦争である。

 日本が、明治37(1904)~38(1905)年の日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満洲全土も朝鮮半島も、今日のロシアの一部となっていたことは疑う余地がない。

シナ(清朝)はロシアを追い払うために何もしなかった。

ところが日本は日露戦争でロシアを打ち破った。

満洲地方には、漢人、蒙古人、満洲人、そして数多くの混血民族など、王朝に忠誠を尽くす人々がすこぶる大勢いた。だからこそ満洲は、辛亥革命で積極的な役割を全く演じなかったのである。日本はロシアの植民地になりかけていた満洲を助けたのであった。

 

■□満洲はシナではない 

ジョンストンは次のように記している。

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