cc「中朝国境の旅」

【中朝国境の旅】 ―朝鮮学校の教科書― 野牧雅子

 
案の定、北朝鮮はのらりくらりと、非核化に手をつけない。韓国では、文在寅大統領がしっかりと目的に向かって、北朝鮮による赤化統一を実現しようとしている。韓国民はいつのまにか、北朝鮮に洗脳されてしまった。北朝鮮による工作は着実に実を結びつつある。
随分前のこと、朝鮮学校で使っている教科書を手に入れることができることができた。教科書と言っても、朝鮮学校側(愛知県民族教育対策委員会)が使っている教科書(初級部-小学校-四年、五年、六年、社会)を日本語に翻訳し、編集しなおしてから、製本して希望者に郵送したのだ。日本語に訳して(もちろん、都合の悪いところは省いて)一般日本人に公開した目的が各教科書の巻頭に書いてある。
 
愛知県民族教育対策委員会は日本の皆様に朝鮮学校の教育内容をより一層ご理解そておただくため初等部(小学校)4年、5年、6年生の社会科「教科書」の一部を翻訳し参考資料として出すことにしました。
 
 なお、日付は、「2006年11月12日」(二〇〇六年は、平成一八年)とある。私がこの資料を手にしたのは、平成二〇年七月一四日である。
もう、何年も前のことだから、今、朝鮮学校では同じような内容の教科書が使われているのかどうか、確認はできないし、公開されているものは、実際の教科書と全く同じものではない。それでも、朝鮮学校の教育を少し垣間見ることができる。
教科ごとの一週間の時間数も紹介されており、当時の朝鮮学校初等部は、第二土曜日が休校、その他の土曜日は授業及び、総合学習、とある。ただ、総合学習に何をやっているのか、これが問題であるが、総合学習の内容は紹介されていない。初級部五年では朝鮮地理が週二時間、六年では朝鮮歴史が週二時間ある。国語とは、朝鮮語を指し、他に「日本語」という教科がある。これは、各学年週四時間である。
初級部五年の教科書に、「日本の朝鮮強占」という小見出しのついた文章がある。「強占」とは、「強制的に占領した」ということなのだろうか。
 
日本は、1905年に、朝鮮王の承認もなく、≪乙巳5条約≫を捏造して、朝鮮外交権を奪い、朝鮮に、統監部を置き、内政に干渉した。
日本は、1910年には、朝鮮政府を脅迫して、≪韓国併合条約≫を強制的に結び、朝鮮に対する植民地統治を更に強化した。日本は総督府を置き、朝鮮人民を銃刀で抑えつけた。
日本は≪土地調査≫をするとして、田畑を奪い、資源と産業を独り占めした。
日本は朝鮮の子供たちに、朝鮮の言葉と文字、朝鮮の歴史と地理を学ばせないようにし、日本人に作り替えようとした。
土地を奪われた多くの朝鮮の人々は、生きる道を求めて中国 満州の地へ行くか、日本の地へ来ることになった。
朝鮮人民たちは、植民地になった朝鮮を取り戻すために、1919年3月1日蜂起をはじめ、いろいろな形態の闘争を国の内外で勇敢に繰り広げた。
 
とある。次に「学習整理」として、
 
1. 朝鮮に対する支配権を窺っていた日本は、清日(日清)戦争を起こした。(1894年)
下関条約を結んだ。
2. 朝鮮を足掛かりとして、大陸に勢力を広げようとしちた日本と、満州に軍隊を送っていたロシアの間に対立が生じ、露日(日露)戦争が起きた。(1904年)
ポーツマス条約を結んだ。
3. 日本は、朝鮮を植民地とした。
 
写真は初級部五年社会より。「民族の明るい未来」と題されている。描かれている挿絵に興味がわく。ど真ん中に、日本の新幹線そっくりの電車が走っている。現在、北朝鮮の鉄道おは、すごくボロで、いつくるかわからないだけでなく、頻繁に故障してうごかなくなる。貨物列車でも、多くの人々が、それぞれ、たくさん荷物を持って乗る。
文章を読むと、「民族の明るい未来」は、まず、南北統一から始まると教えている。北朝鮮が統一を悲願としていることがわかる。「祖国統一の三大憲章」なるものがあり、三大憲章記念塔もある。「三大憲章」とは、
 
1 祖国統一三大原則(1972.7.19)
②高麗民族連邦共和国創立法案(1980.10.10)
③全民族大団結十大綱領(1993.4.6)
 
を指すという。なお、現代韓国史の最大エポックの一つとなった光州事件は、1980年5月に起きた。三大憲章の二つ目、高麗民族連邦共和国創立法案が、同年10月にできたことを考えると興味深い。北朝鮮は数十年かけて、韓国に工作をかけており、みごとに成功しているのだ。
 
 なお、朝鮮学校の教科書については、故萩原遼先生のご活動にかなうものはない。大矢壮一ノンフィクション賞作家である、萩原遼先生は亡くなるまで、北朝鮮と戦っていた闘志であった。先生は、朝鮮学校側が公開している教科書なんか、あてになるものか、とおっしゃり、自ら、朝鮮学校の児童生徒や保護者、卒業生などに接触し、本当に使われている教科書を入手し、日本語に翻訳してくださった。
 朝鮮学校の児童生徒への補助金をめぐり、朝鮮学校の教育がどんなに反日的で、金王朝礼賛のイデオロギーを刷り込んでいるか、血を這うような努力でその実態を暴いてくださった。朝鮮学校に通う児童生徒のいる家庭を訪ね、教科書を貸してくださるよう頼んでも、だいたい断られた。朝鮮学校の教科書は、北朝鮮の国家機密みたいなものなのだ。何軒も訪ねて頭を下げて頼みこんで、断られて、これの繰り返しの中で、何冊か借りることができたものを、翻訳してくださった。
 写真のレイアウトや、行までも本物と同じにして、製本に行き着き、心ある人々に配って、朝鮮学校の実態を世に広めた。そのほんの一部分が、この写真。教科はよくわからないが、おそらく金日成の生涯を学ぶところ。萩原先生は次々と朝鮮学校の実態を明らかにした。朝鮮学校の初級部の児童達が何人か、平壌に行き、金正恩に忠誠を誓う言葉を言っているとの情報も、萩原先生が掴んだ。そして、その時の写真が先生の情報誌に紹介されていたのを思い出す。萩原先生に感謝し、ご冥福を祈る。
 
 二十年くらい前までは、朝鮮学校の近隣の、日本の公立の小中学校の児童生徒たちが、朝鮮学校と交流していたことがよくあった。サッカーや文化祭でお互いの学校を行き来するのだ。今でも行われているかどうか、心ある地方議員の先生方は、調査してみると良いと思う。
 朝鮮学校との交流など、何か恐ろしい気がする。子供の名前をひかえられているのではないだろうか、成績などを調べられているのではないだろうか、などなど。サッカー試合が終わった後などに、朝鮮学校の一室で、歓迎会のようなものがなされることもあり、その時、さりげなく、「朝鮮と日本の負の歴史があるものの、今は楽しく過ごしましょう」などの挨拶が、朝鮮学校の職員や児童生徒からあったりするかもしれない。さらに、展示室みたいなところに案内され、チマチョゴリを日本の児童生徒に見せられ、感想を言わされたりするかもしれない。さらに、壁などには、「この年、おじいちゃんが連れ去られた」などと書かれた年表などが何気なく貼られていたりするかもしれない。
 在日朝鮮人達は、単に北朝鮮の人達というだけではない。何世代にも渡って日本に住み、これからも日本に住む意思を持っている。そういう人達が、金一族を仰ぎ見て、日本を呪詛する教育を受け続けるのは、日本の社会に何か歪んだものをはぐくむことになるのだ。補助金など、もっての他なのだ。