2017年11月19日(日曜日)
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核なき世界の偽善  −オバマの卒論− 白石茂樹 日本防犯防災協会 常務理事

伊勢志摩サミットのため訪日するオバマ大統領は、合衆国大統領として初めて「広島」を訪問する。アメリカはもとより、中国、韓国においても、懸念や反対の声が多いにもかかわらず、何故か、日本においては、政府も地元も大歓迎というのだから、お人よしも度が過ぎるというものだ。

 オバマ大統領は、大統領就任後、2009年のプラハ演説において、「核廃絶」への強い思いを語っている。

 しかし、任期中彼の為し得たことは、せいぜい核安全保障サミットを開催して、「不拡散」という核保有国本位のご都合を世界標準にすり替えただけだ。 「核廃絶」など「ありえもしない理想」を掲げ、米ロの「核削減」という「みせかけの偽善」をもって、非保有国に「おまえは持つな」と不平等条約を迫る傲慢さは、帝国主義時代といささかも変わりない。

 二期目の再選を果たしたばかりの頃、米国内で銃による乱射事件が相次いだのを覚えているだろうか。小学生20人が犠牲となった事件の後、彼は涙をこぼしながらも、翌日毅然とした口調で、画期的な「銃規制を明言」した。

 だが、その後も銃乱射事件は続発し、規制の「明言」は影をひそめるばかりだ。一旦は堅く誓いながらも、自国の銃規制すらままならない合衆国大統領・・・しかるに、国際社会に向けては、性懲りもなく核廃絶、不拡散を訴える。

広島訪問は、国内の大事な宿題は片付けられず、卒業のための名誉だけは何とかしようという、ノーベル平和賞受賞者の身勝手な卒論に過ぎない。

そんな偽善の花道を大歓迎してしまっては、マッカーサー元帥もびっくりだ。

 

−あやまちは繰り返しませぬから−

「あやまちは繰り返しませぬから」・・・これは広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に記されている、主語のない曖昧な言葉である。行政の解釈によると、

「主語は人類」なのだそうだ。 では、「あやまち」とは戦争のことか?

それとも核兵器による市民の大量虐殺のことか? 誰に聞いても釈然としない。

「核兵器の惨禍を忘れません」とか、もっとわかりやすい表現に変えたらどうか? 中学生のときからの疑問である。

 広島市長にはっきり答えてもらいたい。「日本が悪いんですか?」

核兵器を使用し、10万人以上の広島市民を大量虐殺したのは、紛れもなくアメリカですよ。 そして、「原爆が戦争を終わらせて、何万もの米兵の命を救った」というのが、かの国の歴史観の「公式見解」なのですよ。

 それでも、歓迎するのですか?

政府の思惑はともかく、広島市長くらいは、「反省と謝罪の弁なくして、受け入れることはできない」と突っ張ってほしいものだ。

 先月、オバマ大統領は、ワシントンポストにこう寄稿している。

「唯一の核兵器使用国として、アメリカは核廃絶へのリーダーシップを取り続ける道徳的義務を負う。」 そこに間違っても「謝罪」じみた表現はない。

非道徳を犯しておいて、それはないだろう・・・

 ロシアと合わせれば、世界の核弾頭の9割を寡占保有していながら、堂々と核なき世界を謳う厚顔は、恥知らずの極みであろう。

残虐非道な大量殺戮兵器「核兵器」を使用し、「民間人」20万人以上を虐殺した、人類史上稀にみる非道徳を詫びずして、何がノーベル平和賞だ。

 

−持つ国と持たざる国−

アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、いったい何の根拠、権利があって、核保有が許されているのか? 国連の常任理事国である前に、戦勝国であるというだけの理由ではないか。 そして、どさくさに紛れて保有してい

る、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮・・・核抑止の強化こそすれ、放棄するなどということは、想像することも愚かである。

 何故なら、それは主権を手放すことに等しいからだ。

争いの種が地球上から無くならない以上、国家・民族生存のための必須アイテムだ。そして、幸か不幸か、戦勝国に寡占される核兵器の存在こそ、大きな戦争を防ぎ、国家間の均衡を保ってもいる。

 しかし、一方で「持たざる国々」は、未だ核大国の横暴に虐げられ、涙を呑んでいるのが国際社会の現実だ。 生物化学兵器は貧者の核といわれるが、

持たざる国が持てる国に対抗するには、国家として合理的な選択であるはずなのに、「非道徳的だから、持つな!」と、非道徳な核大国から強制される。

 弱小国は皆思う。「核保有国が何を言ってんだ!」

 ただの弱いモノいじめだが、西側報道では、道理的強制を吹聴し、それが、国際標準として成り立ってしまうから恐ろしい。不公平にも度が過ぎる。

 

−持たざる国として−

 さて、建前と本音が複雑に衝突し合う国際社会の中で、わが国が二度と核兵器の惨禍に巻き込まれないためにすべきことは何か?

 「平和を願い、不戦を誓う」ことなのか?

「命の尊さを美辞麗句で伝え継ぐ」ことなのか? 

そんな性善説依存が、偽善とダブルスタンダードに塗れる国際社会に通用するはずがない。

 「核なき世界」の狡猾な幻想と核保有国の傲慢を、しっかりと見極め、あやまちを犯す危険性のある人(国)とどう向き合うかを長期的視野で危機管理することが肝要なのである。

哀しい哉、アメリカに迎合、服従するのが、身近な選択肢であるが、日越印で核戦力を共同保有するという荒業も50年後には出てこよう。

 人と人、民族と民族、宗教と宗教との間に起こる争いが絶えることはない、というのが歴史の必然であり、人類が存在する限り衝突は避けられない。  

人類が、核という「科学技術」を発見してしまった以上、それが無くなることもない。「技術」として地球の歴史に登場してしまった以上、物理的に消滅することはないのだ。

人類が主語であるかぎり・・・

 

白石茂樹  日本防犯防災協会 常務理事