2017年10月22日(日曜日)
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組織結成70年、改めて「日教組という名の十字架」を提起する 小林 正


組織結成70年、改めて「日教組という名の十字架」を提起する

 小林 正

 1.本稿について思いを巡らしていた矢先、教え子から電話があった。十年ぶりに「クラス会」をやるとのことで、その日程についての問い合わせだった。私は全ての日程に優先して参加するのでそちらで決めてくれと応えた。昭和33年、新卒の私は川崎の小学校の5,年6組の担任になった。翌年まで持ち上がりの6年6組の卒業生として彼らを送り出した。その後、6年6組のクラス会は継続していた。私にとって、6年6組は私の教育の原点である。未熟で気負いがあり、先輩教師から厳しい指導を受けた。場所は教室であったり、煙が立ち込める焼き鳥屋だった。新卒を取り巻く師範出の鬼軍曹が居たのである。

今年は憲法施行70周年であり、教え子たちも昭和22年生まれで今年は70歳、第一次ベビーブームの世代である。50人以上の学級で7クラス編成だった。戦後の激動期、親子ともに必死で生きてきた世代である。就職やその後の人生においても過当競争に晒され乍ら頑張ってきた世代だということである。唯一の救いはその一世代前が味わった戦火に追われる恐怖と占領期の屈辱を免れたことである。

2.昭和22年6月8日、日教組が結成大会を開いた橿原市は神武天皇が即位した神話の舞台だった。代議員たちは戦火を免れた門前町の旅館にそれぞれ米を持参して宿泊した。総選挙の結果第一党となった社会党は片山哲内閣を組織し、文部大臣には森戸辰男が就任した。

日教組は大会の名において森戸宛に激励電報を打った。「全国50万の総力を結集し、ここに日本教職員組合の鉄の団結をいたす。この灼熱の力をもちて教育改革に邁進す。森戸文部大臣に要望するところ大なり」これに対して森戸文部大臣はNHKラジオ放送で「教育者諸君に与う」と題して放送を行い日教組の激励電報に応えた。

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